秋、自分を見返す季節。見返る。その行く先は、ミカエル。
こんにちは。
「わたしに還るyoga」のクラスを開いています、山崎大です。
今回のブログ、すてきなタイトルにも関わらず、こうしてページにアクセスしていただいたこと、大変感謝いたします。
ありがとうございます。
ここ安曇野は、紅葉がはじまりました。
お空もすっきりと晴れ渡る日が増えてきて、今週末はお出かけ日よりになりそうです。
昔から、秋の空氣が好きでした。
なんでしょう。
生命の躍動が一つの区切りを迎え、終わり際に色づき、果実を実らせ、眠りに入る瀬戸際。
吹く風も、どこかさみしさを含みながら、それでいて爽やかで清々しい。
風に舞う落ち葉のかさかさと乾いた音。
日ごと、夜の訪れが早まり、一年がまた一つ終わりに近づいていることを知らせる季節。
そんな秋が、昔から好きでした。
秋になると、昔の出来ごとに想いを馳せたい、そんな氣持ちになります。
幼少の頃、過ごした秋の季節。
思春期を通り抜けて行った秋。
今、感じている秋。
季節の連続は、様々な体験と感情を僕の中に残し、そしてまた次へと移り去って行きました。
秋、一年の中で一番落ち着ける氣がしています。
躍動が休まり、一息つける。そんな季節。
自らを見つめ、整理し、また次への確かな一歩を造り上げる季節。
僕には、変な癖がありました。
友だちと話している時、すこし大げさに話をしてしまう癖。
盛って話をするのです。
数字が2倍になることはしばしば。
下手をすると10倍になることをあったように思います。
正直ではないし、良いことではないこと、知っていました。
ですが、話をしていると、さっと現れては、盛った話をして、また立ち去ってゆく僕が居ました。
あ、こいつめ。また出たなー。
そう想った時には、したり顔で立ち去っているのです。
手強い相手だ。
どうにかこらしめてやろう。
考えることが昔から好きだったと言うか、癖だった僕はいろいろと考えました。
どうして、僕には、話を盛ってしまう癖があるのだろう・・?
思い浮かんだのは、母の存在でした。
母も、話を盛るのが得意でした。
「お母さんはねえ・・」
と盛った話をする母を思い出して、ああ、僕のこの癖は遺伝だな。
と一応の答えを出していたのでした。
ですが、遺伝だと答えを出したのはよいものの、癖は治まる姿を見せません。
相も変わらず、話を盛っていました。
解決はお蔵入りとなった僕の癖は、見過ごされ、次第に僕の一部となってゆきました。
その癖が、溶け出す機会が与えられたのは、数年後の瞑想との出逢いでした。
はじめは疑いながらも、そこには何かがあるという確かな感覚を信じて、入って行った瞑想。
ただ目を閉じているだけの、精神鍛錬だと思いながらも続けていた瞑想。
続けていても何もないのでは?と不安になりながら探究していました。
ある時、瞑想というものが自分の中で掴めてきた頃。
流れては消えてゆく、想いの川を眺めている僕が居ました。
それは、映画を見ているかのようでした。
流れゆく想い、思考、それに伴う感情。
それらが、ただただ流れ、少し離れたところからすべてを見つめている。
そんな状態になったとき。
父の記憶が流れてきました。
父は、しかめっ面をしていました。
眉間には縦にしわが入り、僕の話に耳を貸そうとしない父が流れてきました。
話をしても、聞き入れてもらえませんでした。
いつも、認めてはもらえませんでした。
「僕を、見て。」
当時の僕が、声にならない言葉で訴えていました。
「僕を、認めて。」
当時の感情が、記憶と伴に流れては、消えてゆきます。
少し離れたところから、僕の意識は、その総てを見つめて、受け取ってゆきました。
おなかの奥に、どろどろと生き物のようにうごめく、幼い僕が吐き出し切れていない感情があることに氣がつきました。
受け止めながら、すこしずつ溶かされるように、どろどろは薄まってゆくようでした。
感情は、感じ尽くさない限り、体の中に居続けていることに氣がついた体験でした。
同時に、
僕を、見て。
僕を、認めて。
そう訴える幼い日の僕が、今も体の奥に住んでいて、その彼が、大げさに盛った話をして、注目を引きつけたいのだということ。
すごいね。
そう言って認めてもらいたかったのだということを知ったのでした。
そういえば母は、幼いころ実の母を亡くし、実の父とも離れて暮らさなければならなかったのだと過去に話していたことを思い出しました。
話を盛って話をする母の奥に、幼い日、「わたしを、見て。」と僕と同じように訴える幼い少女が見えるようになりました。
何度も何度も、同じ瞑想を繰り返しました。
泪が流れることもしばしば、
何十回目かに、訴える幼い僕は大人しくなってゆきました。
同時におなかの奥が花が咲いたかのように、内側から開き、ゆるみ、内蔵が一呼吸ごと大きく上下するようになりました。
この体験が、ナウリ浄化法に密接に結びついています。
ナウリ浄化法。
話をする中で、今でも幼い日の彼は時々姿を現そうそしてきます。
「盛った話、させてー。」
幼い僕がそういってくるとき、うんうん、と聞いて頭なでなでしてあげることにしています。
時には盛った話も面白いので、場に応じてはしていますが、勝手にしてしまったということは無くなりました。
僕自身が以前より、とても楽に人と関われるようになったと感じています。
自分の中に住んでいるいくつかの存在たち。
彼らと出会ってゆく瞑想は、インナーチャイルド瞑想と呼ばれます。
内に住む子ども。
とくに、表現できなかった幼い日の心。
そんなこころを溶かしてゆく瞑想です。
意識が十分に静かになった状態を作り出せるようになってから、行うことが適切な瞑想だと感じています。
まずは、現代の様々なシーンで活用されている、「マインドフルネス瞑想」で、瞑想の基礎を作ったのちに行うことが良いと感じます。
吉田昌生さんのご著書、「マインドフルネス瞑想入門」
誘導のCDもついており、分かりやすい解説。
とてもお勧めできます。
インナーチャイルド瞑想の誘導音声です。
わたしのアプローチとは違いますが、どんなものかを体験できると感じます。
そして最後は、
「はじめての瞑想CD〜medhicine meditation〜」
¥2,500
1 . 準備 基本姿勢 6:56
2. マインドフルネス瞑想 10:57
3. 水の瞑想 9:30
4. いのちとつながる瞑想 8:37
5. インナーチャイルド瞑想 6:47
6. こころとつながる瞑想 7:37
7. 光の呼吸瞑想 8:16
8. 自由瞑想 12:10
どなたでも、聞くだけで基本の瞑想へ入ってゆけるように仕上げてあります。
ご体験いただけたら幸いです。
ご感想の動画を撮らせていただきました。
こんにちは。
【わたしに還るyoga】のクラスを開いています、山崎大です。
先日、瞑想CD「medicine meditation~はじめての瞑想~」をお渡しできる形となりました。
するするとわたしの元から旅立ってゆくCDたち。
生活の向上や、こころの落ち着きに、役立ってくれますよう、願っています。
最近では、日々の隙間に加えてくださっている方々から、ご感想もいただけるようになってきました。
ご感想交え、動画にさせていただいています。
ご覧いただけたら幸いです。
Truck2の「マインドフルネス瞑想」についてを話題にしています。
欧米では、ビジネスや医療の世界で既に「マインドフルネス瞑想」が取り入れられています。
ダライラマ14世の精力的な活動により、瞑想が科学的に見直され、宗教性が消えた「マインドフルネス」という形に昇華されたのが、ここ数年のこと。
脳に、こころからだに、効果があります。
体験していただけたら伝え手として、何よりもの喜びです。
CD販売開始いたします。
こんにちは。
ヨガ・瞑想講師の山崎大です。
2015年のインドからの帰国より、「魂と体をつなぐyoga」と題してクラスを継続させていただいておりました。
今月より、内容の変化に合わせ「わたしに還るyoga」と改めさせていただきます。
ダンマディンニャさまに描いていただいた、書の文字
自然をわたしと読み、道をyogaと読みます。
文字通り、自然に還る道。
一人ひとりが、自然とつながりながら、本当のわたしへと戻ってゆく。
そんな道を歩めるyogaにしていきます。
そして、10月より、兼ねてからの願いであった「瞑想CD」
『はじめての瞑想〜medicine meditation〜』を販売開始いたします。
- イライラや焦り。
- 落ち込んでしまう氣持ち。
- 人目が氣になったり、人前で緊張してしまう。
そんな氣持ちを抱えている方。
- 本当にやりたいことを見つけたい。
- 実現したい夢に向かい、ブレずに進みたい。
- モチベーションを高く保ちたい。
そんな想いをお持ちの方。
- 病氣がちのからだを整えたい。
- 健康に、柔軟になりたい。
そんな方々へ向けて。
瞑想は、本当に役に立ちます。
5000年も途絶えず、古来より人類が行い続けてきた技。
それが瞑想です。
先日の「ためしてガッテン」でも瞑想が取り上げられ、科学的に効果が実証されてきていることが話題となっていました。
43:15〜
瞑想を続けたおばあちゃんの言葉、胸に響きます。
年齢に関係なく、脳が変化し、効果が出ていることが伝わります。
脳が変化する瞑想。
脳の変化は、からだと心の多くの問題を根こそぎ払っていくと感じています。
実際にためしていただけることで、日々の変化を感じていただけたら、伝え手として、これ以上の喜びはありません。
¥2,500
1 . 準備 基本姿勢 6:56
2. マインドフルネス瞑想 10:57
3. 水の瞑想 9:30
4. いのちとつながる瞑想 8:37
5. インナーチャイルド瞑想 6:47
6. こころとつながる瞑想 7:37
7. 光の呼吸瞑想 8:16
8. 自由瞑想 12:10
どなたでも、聞くだけで簡単に瞑想に入ってゆける内容に仕上げてあります。
お手にしていただき、体験していただけたらきっと変化を感じていただけると信じています。
生活の向上へ、お役に立てたら幸いです。
「人に合わせて、疲れてしまう。」
こんにちは。
Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。
9月に入り、ここ安曇野は毎日のお空がすごいことになっています。
今朝は龍神さまが空に立ち昇っていました。
さまざまな変化の始まりであると言われる9月。
個人的にも大きなシフトが必要な氣がしています。
「魂と体をつなぐyoga」もご参加くださる方々に支えられ、変化してきました。
お陰様で、内容も以前より伝わりやすくなって来たように感じています。
今後は、
「自然に還る道~わたしを変えるyogaから、わたしに還るyogaへ~」
というタイトルでyogaのクラスを開かせていただこうと感じています。
ご参加していただける方が、自然こそがわたしであることを感じ、本来のわたしと繋がってゆく道となる、そんなクラスを目指してゆきます。
これからも、お付き合いいただけます方、どうぞよろしくお願いいたします。
本日は、今回のタイトルにしました
「人に合わせすぎて、疲れてしまう」
についてです。
このような経験、誰しもにあるのではないかと感じています。
かく言うわたしも、このような経験が多くあります。
「人に合わせすぎて、疲れてしまう」
その後ろには、
「自分の言いたいことが言えない。」
という心理があるように感じます。
「自分の言いたいことが言えない」
その後ろには、
「自分の意見が相手と違う」
という事実があります。
ひも解くと、相手と違う意見を伝えたとき、
「どちらかが正しくて、どちらかが間違っている」
という状況を引き起こし、相手を否定したくないと同時に、自分が否定されて傷つきたくない。
そんな心理が隠れているようです。
わたしが、「ヨガ・瞑想のクラス」を開いており、「瞑想CD」を作成している背景には、「人に合わせてしまい、疲れてしまう」こと、「自分の意見が他人と違っていたら言えない」こと、を減らしてゆけるきっかけになればという想いがあります。
ヨガは、からだの感覚を呼び起こしながら、観察します。
「痛きもちいい感覚・むずがゆい感覚・心地よさ」
これら感覚は、「今・ここ」で起きており、「わたしにしか味わうことのできないもの」です。
「~しなければ。~するべきだ。~はどうしよう。」
これら思考は、過去の記憶から発生し、未来を予測させたり、過去に引き戻したり・・「今・ここ」ではないところを彷徨います。そしてわたし以外のところから、植え付けられてきました。
現代社会で生きていると、「思考優位」で生きることが多くなります。
それは、集団社会では、個々がまったく別々の感覚を重視していては、ものごとのスピードや合理性に欠けるというところが大きいのでしょう。
ですので、決まりやルールを設け、「こうあるべき」という枠の中を動き回っています。
そうすることで生み出される物質の完成度やスピードは増してゆくと言えるのは確かなことです。
ただ、合理性、スピードが増してゆくに連れて、大切なものが抜け落ちていっています。
「感じているわたし」「本当は、こうしたいわたし」
本当のわたしは、「こうするべき」「足並みを乱すべきではない」「周りに合わせるべき」
という「ベキベキの壁」に固められ、身動きが取れなくなりがちです。
瞑想は、思考を流してゆきます。
ただただ、小川を流れる水のように、思考は流れてゆきます。
それを観察する目を養ってゆくのが「瞑想」となります。
「瞑想」は続けるうちに、さまざまな謎を解きほぐしていきます。
「なぜ~すべきだと思っていたのか」「なぜ、~せねばと思っていたのか」
思考が流れるごとに、枠組みは外れ、奥底の静けさが広がってゆきます。
そして次第に、「わたしが感じていること」が「わたしだけに感じられること」であること。
「彼に感じていることが」「彼にだけに感じることができること」であることが肚に落ちてきます。
続けるうちに、わたしと他人との間に、一定の境界線がしけるようになり、他人の評価や視線が氣にならなくなっていきます。
それゆえ、人の意見も大いに尊重しながら、同じくらい自分の意見も尊重できるようになってゆくと感じています。
感じていることをはっきりと伝える。
それが、自分を大切にする、自分の世界を大切にするということであることと感じます。
伝え方はありますが、もし自分の意見をはっきりと伝え、相手が不快に思うのであれば、それは相手が不快に感じたまでのこと。
そんな潔さも次第に身についてゆくのかな。そんな氣もしています。
もちろん、わたし自身も瞑想・ヨガ伴に練習中です。
人との関係で思い悩むこと、関係を良くしたいと思いながらもうまく関係を結べないこと、まだまだあります。
ですが、数年前のわたしと比べた時に、人との関係は驚く程楽です。
これらはヨガ・瞑想の恩恵であるとわたし自身は断言できます。
ヨガ・瞑想によって救われている身として、恩恵をシェアし続け、今後もより伝えやすく昇華させてゆきます。
わたしが与えてもらった瞑想の恩恵を十二分に詰め込んだ「瞑想CD」、「medicine meditation~はじめての瞑想~」は、9月半ばにお手に取っていただけます。
「1枚 2,500円」となります。
日々の隙間に入れていただけたら、きっとご自身の変化を感じていただけると信じています。
お氣になる方、ご購入お願いいたします。
想いを乗せたものとして、何よりもの喜びです。
今回も、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
インド旅、ご応募ありがとうございました。
こんにちは。
Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。
先日、こちらのブログにて、「インド砂漠オアシスyogaの旅」の応募を募らせていただきました。
早速、お申し込みをいただけた方々がいらっしゃり、現在ご検討中の方々もいらっしゃいます。
8名様という少人数での旅ということもあり、現在ご検討いただいている方までで募集を締めさせていただきます。
ご連絡いただき、ご検討中の方の枠は空いておりますので、ご心配なくご検討をご継続ください。
また、「どうしても行きたい!」と感じる方いらっしゃいましたら、ご連絡くださいましたら調整してみます。
思いの外、ささっと枠が埋まったことから、多くの方が「インドに呼ばれている」のだと感じます。
インドは、何をせずとも「ただ、その土地に降り立つだけで価値がある国」だと感じています。
あらゆるものがむき出しの国インド。
多くのものが包み隠される国日本。
2つの国を行き来することは、大きな変化であり、文字通り大変なこともあります。
良くも悪くも、死ぬまで忘れない。
そんな体験ができる数少ない国です。
ご検討中含め、ご応募いただいた方々の顔ぶれを眺め、
「この方々とインドの地を再び触れることができる」
そう想うだけでこみ上げるものがあります。
本当に本当に、すてきな方々が集ってくださいました。
個人的にも尊敬し、大好きな方々と伴に旅ができること、これまでにないワクワクと感動を感じています。
ご応募いただけた方々、この場を借りてこころより感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございます。
一緒にインドを感じましょう。
また、行きたい想いを持ちながらも、今回はタイミングが合わずに見送られた方。
またいずれ、違った形での旅をワークショップ的に発信できたらと想っています。
どうぞ、今後とも活動を見守っていただけたら幸いです。
「インド砂漠オアシスyogaの旅」を皮切りにし、わたし自身が開いている「たましいとからだをつなぐyoga」も変化させていきます。
もうしばらくはクラスを続けますが、内容の変化と伴に改名し、新たないのちを吹き込む準備をしています。
「完成とは、決して完成しないこと。
すべてが変化である摂理に従い、摂理の中を伴に生きること。」
インドの混沌が、混沌として完成していたその姿が、わたしに伝えてくれたメッセージ。
わたし自身が体験した、それを真とし、わたし自身も感じたままに、変化を生きてゆこうと感じます。
変化し続けることにこだわり、より自然に、摂理に、近づいてゆきます。
ヨガクラス、変化の時期が来ています。
また新たに変化してゆくクラスもどうぞ、お見守りいただけたら幸いです。
今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。
インド旅、あと3名様募集いたしております。
こんにちは。
Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。
先日、年末年始に企画した「インド砂漠オアシスyogaの旅」の応募を始めさせていただきました。
早速数名の方々から応募をいただき、あと3名様空きがございます。
「いつかはインドへ行ってみたい。」そんな想いをお持ちであった方、どうぞ遠慮なくお申し込みください。
また、ご質問等もお受けいたします。
お氣軽にお問い合わせください。
インドへご一緒してくださる暁には、
「次にインドへ行く時は、ひとりでも行ける」
そんな自信も伴にしていただけるよう、旅をデザインして参ります。
リアルなインドを味わいながら、そこに流れる自由の風を大いに吸い込み、
「わたしは、もっと自由に生きていい。」
そんな感覚も伴にできたらと願っています。
成田からの直行便でインドに入ります。
お招きするのは、プシュカルと言う砂漠に佇むオアシスの街。
ヒンドゥー教の一大聖地であり、荒野に存在する湖を中心としたかわいらしい街です。
欧米からのバックパッカーたちが集る観光地としての顔もあり、常に人で賑わうため、土着の伝統工芸に花が開いています。
インド他の街ではなかなか見ることのできない、色とりどりの石を使ったアクセサリーや小物。
生活を伴にするラクダの革を使った鞄や靴。
ラッシーと言うヨーグルトドリンクを売る店。
活氣とともに、そんなお店が軒を連ねています。
ひとたび、中に入り身を溶かし出せば、颯爽と歩いているご自身に氣がつくはずです。
インドのもつ猥雑さ、混沌、貧富。
突き抜けるような、荒野の広がり。
野生の動物とありあまる程の南国の果物。
豊かさと、自由と、貧困と・・
神聖さと、欲望・・
そのどれもが、絶妙なバランスで混沌の中をまわっている街。
プシュカルとは、そんな街であると感じます。
荒野の中、スクーターをレンタルし駆け抜けてゆくと、野生のクジャクが群れを作っています。
そんな姿もご覧に入れられたらと思っています。
丘を登れば、遠く地平線に沈んでゆく太陽を眺めることのできる夕日の街でもあります。
一年の締めくくりに。
沈む夕日に想いを預け、砂漠から昇る朝日に新年の挨拶を。
ご都合のつく方、ご一緒できることをこころより楽しみにしております。
「自分に。人生に、自信がない」
こんにちは。
Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。
5月が終わるころから今に至るまで、CD制作を行っていました。
暑くなり出し、夏を感じ始めた時期に制作を始めましたが、今ではその夏も終わろうとしています。
一夏かかり、ようやく原本が仕上がりました。
ありがたいことに、
「CDはいつできるのですか?」
というお声をいただくことがありました。
「8月の終わりに頃に。」
とその当時応えておりましたが、蓋を開いてみたらちょうど原本が仕上がったところ。
ここからプレスに出し、いのちを吹き込んでいきます。
もう3週間程かかるようです。
何事にも言えることなのでしょう。
様々な算段をして、予定し、実行してゆくと思わぬ出来ごとや氣になること、出てくるものですね。
思った以上に時間と労力がかかりました。
それでも、送り出すなら納得したものを。
今日仕上がったそれは、深く頷きながら眺めることができます。
アイマールレコードというレコード屋さんを営む、榎本悟士さん。
話しやすい人柄から、はじめてお逢いしたときから決めていました。
もし、CDを作るならこの人と組みたいな。と。
制作を始めると、思った以上にスムーズでした。
かゆいところにも手が届くと言う言葉がぴったりで、すごく細かいところまで手を入れていただけたこと、とても感謝です。
ジャケットやブックレットに使用した絵は、奈良のお絵描き屋さん。
西井佐和さんにお願いしました。
さわやかな色使い。
彼女の絵にはいつもがさわさわとした風が流れていて、いつか彼女の描いた絵で何かしらの作品をのこしたいと思っていた願いに応えていただきました。
ブックレットは、16ページ。
そのすべてに、すてきな風を挿入していただきました。
開いただけで、やさしい氣持ちのながれるブックレットになっています。
佐和さん、本当にありがとうございます。
BGMは、ヨガ瞑想のクラスで使わせていただいている「かむおん」さまと「宮下富実夫」さまのものを使わせていただいています。
BGMに使うことを快く了承してくださった「かむおん」さま、本当にありがとうございます。
「宮下富実夫」さまにもご縁を頂け、BGMにさせていただけたこと、本当にありがたいことでした。
様々な方々のご支援をいただき、「medicine meditation~はじめての瞑想~」が仕上がりました。
どうか、誰かの役に立ちますように。
瞑想、メディテーションの語源は、メディスン(薬)といわれます。
一人ひとりの内側に今もある、薬となる場所。
その場所まで、内側を旅する。
そんな瞑想となったら。
そんな祈りと伴に作りました。
冒頭にも掲げました
「自分に。人生に自信が持てない」
そんな状態からの、脱却。
僕の、わたしの、あなたの人生は、あなたにしか、味わえない。
誰も、付け入ることのできないドラマ。
どれだけ、何光年さかのぼっても。
どれだけ、何光年先へ行っても。
僕も、あなたも、今、一瞬のここにしかいない。
ここにしかいないあなたが、新たな彼と出会う。
間に流れている、空氣。
間に流れている、感情。
テレビドラマや、社会、世間の価値が、そこに名前を付けようとする。
それはね、恋心と呼ぶのだよ。
それはね、苦しみと呼ぶのだよ。
それはね、良いことなんだ。
それはね、悪いことなんだ。
ううん。
違うよ。
すべて違う。
あなたと、彼との間に流れる空氣。
あなたが、今、感じている感情。
それは、誰にも分からない。
誰も名前をつけることができない。
誰も、良いこと、悪いことなんて言えない。
あなたは、一瞬の今にしか存在できない、ただ一つの存在。
あなたが、彼と出会い、感じている。
それは、あなたにしか分からない。
あなただけが、あなたの言葉で名付けることのできる感覚。
それは、この宇宙がはじまって。そして、これからこの宇宙がどれだけ進んでいっても、あなたにしか感じることのできない、今、ここにしかない感覚。
僕たちは、教育を受けた。
社会を学んだ。
それは、大切なこと。
集団の中で、人は生きるのだから。
でも、何が良くて、何が悪いか。
それは、誰かに決められるものではなくて。
こうなったら、すてきだ。
こうなることは、よくないことだ。
集団が造り上げたそんな価値が、少なくとも僕たちの中に入り込んでいる。
何が良いかは、あなたの心が知っている。
あなたにとって、栄養となり、あなたの心が踊るもの。
それは、集団の造り上げた価値とは、違う。
あなたという、一瞬の。
宇宙で唯一の存在に、ある出来ごとが訪れた。
それは、あなただけが知る物語。
誰も、付け入ることのできない、あなたの物語。
誰かに、
認めてもらう必要なんて、ない。
誰が、人の物語を認める権威を持つのだろう。
誰も、持たない。
誰も、評価できない。
比べることは元々、できない。
一人ひとりが、全く別の、違う物語を生きている、この世界。
人生と言う物語。
あなたは、感じている。
あなたは瞬間、選んでいる。
その連続を、生きてきた。
そこに、間違いも、正しいもなくて。
紛れもなく、あなたにしかできない選択だった。
あなたは、今現在も、あなたにしか出逢えなかった人と出逢い、あなたにしか感じ得ない感情を抱き、あなたにしかできない選択をしている。
それが、あなたの人生と言う物語。
肉体は、変化する。
感じながら。
変化してゆく。
その過程も、度合いも、あなただけの度合い。
いずれは、土となり、風となり、世界に溶け出し消えてゆく。
そのわずかな隙間に感じている、人生と言う物語。
もう二度と無い、瞬間の物語。
自分に、人生に自信?
一体何と比べていたのだろう?
そんな自信は、誰かと比べて優越に浸る類いのお粗末価値が、あなたに見せた幻。
あなたは、あなたに還ってゆく。
幻は、消えてゆく。
自分に、人生にも自信など、なくていい。
唯一無二の、あなたの物語に、何者も口を挟むことなどできないのだから。
あなたにしか、感じられない、あなたが選択した、あなただけの物語。
雑音は消える。
あなたは、あなたの物語を見つめる。
あなたは、あなたの肉体が脈打っていることを見つめる。
感覚を、今までの選択を、見つめるあなたは、あなたに還ってゆく。
優越も、劣等も、ない。
それぞれの、一瞬の、ただ、そこにしかない物語があるだけ。
あなたの物語は、あなたが描いてきて、これからもあなたが描く。
彼には、彼の。
彼女には、彼女の物語。
瞑想は、続けるうちにあなたを、あなたに還してゆく。
内側まで旅をして、あなただけの物語を取り戻したとき。
きっと、あなたは笑顔だ。
その笑顔で、お目にかかれる日を願って。
「medicine meditation~はじめての瞑想~」
CD、あと少しで完成いたします。
ピンと来る方、お手に取っていただけたら想いを乗せたものとして、最高の喜びです。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。