べっきべきの壁・ネバネバのnever
こんにちは。
Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています山崎大です。
先日のクラスで、「コリ・シコリがとれると、体が柔らかくなる」ことを話題に取り上げました。
体が硬いのは、凝っている場所があるからなのですが、そもそもなぜコリは生まれるのか?
今回はそのメカニズムを心理面を中心にひも解いていきたいと思います。
肉体労働で疲労がたまったり、辛い姿勢を長時間続けたり・・
こうすることで体は凝っていきます・・
コリの症状が生まれる心理的原因として「無理している」ということがあげられます。
無理しているのです。
無理せず、疲れたら休む。
ちゃんとちゃっかり休息を取っていれば、コリとは無縁のはずです。
そうはいってもこのご時世、無理が大きな顔してまかり通っているのが現状です。
無理することを後ろで操っているのが、「〜べき」という考えであり、「〜ねば」という考えです。
休みたい・・辛いと感じても、仕事だからやら『ねば』
他人の言動に対しても、こうする『べき』なんじゃないの?と四六時中、「べき」と「ねば」が顔を出します。
これらが、こころの動きを制限し、結果的に体が凝ってゆくという流れがあります。
ではまず、『ねば』から見てきたいのですが、これは自分の内から生まれます。
本当は〜したいけれど、○○せ『ねば』というように・・
内側に存在するネバネバの執着が『ねば』です。
音魂的に見てゆくと、『ねば』はnevereであり、「決して〜ない」という強い否定です。
「本当は〜したい」というこころを「〜せねば」で打ち消しているところから、「ねば」とneverは意味としても同列です。
音魂は大陸を越えていきます。すげ〜。
『べき』も同様に見ていきます。
『べき』は主に外側の行動に向けられていきます。
ベキという音の響きから、何かが折れる音のようであり、硬さを感じます。
言霊として見てゆくと、『べき』は「へき」であり「壁」です。
行動を規制する「壁」が『べき』の正体です。
こころからの行動は、この『べきべきの壁』により規制されてしまいます。
わたしたちの心は、これら『ネバネバのnevere』と『ベキベキの壁』により窮屈にされており、その窮屈さからこころからの行動は出来ず、結果的にコリ・シコリが生まれ出ています。
これに氣がつくだけで、コリ・シコリは自然と薄まってゆきます。
氣がつくと、知らずとも意識が向きます。
意識が向くということは、光が当たるということであり、改善が始まるということです。
「問題は氣がつくだけでいい。氣がついたとき既に、解決は始まっている」
ある日、こころに降りてきた言葉です。
お読みのお方、もうすでにコリ・シコリは消えていっています。やったー。
それでも、もっと具体的に解決したいという方、クラスへ遊びにいらしてね。
またこちらでも追々、記事としてご紹介させて頂けたらと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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