心の内を、語ろうと思う。
世界一周の旅。最後の大陸は、南米のペルーだった。
アフリカからアルゼンチンへと足を伸ばし、最南端のパタゴニアからずっと北上していった。
ペルーに行き着いた時、ずっと氣になっていた民族の儀式に参加してみることにした。
その儀式は、「アヤ・ワスカ」と呼ばれている。
アヤとは魂、ワスカとはつなぐという意味だそう。
ぼくがアヤ・ワスカについて語りだすと、大体えらく長くかかる。
それは、地球が始まってかから今に至るまでの過程を、細部まで存分にお披露目するような長さだ。
事実、確かなリアリティを持って、地球の歴史をかいま見た。
アヤ・ワスカについては、いずれ詳しく表現してみたい。
儀式に参加する以前の僕は、帰国することにためらいがあった。
何か大切なものを、まだ掴んでいない。そんな感覚と伴にいた。
帰って、再び出国前と同じ自分に戻るのが嫌だった。
いのちの輝かせ方を、自由への切符を、生きることの意味を、つかみ取るための旅。
まだ終われない。
儀式の前、そんな僕が確かにそこにいた。
「帰ろう。」
儀式を終えた僕のこころに、今まで抱くことのなかった言葉が浮かんでいた。
それほどまで、「アヤ・ワスカ」は、当時の僕には強烈だった。
「帰ろう」は日本への帰国も意味したが、
同時に「還ろう」でもあった。
本当の僕に、還ろう。
本当の僕の、本当の実力を、人間の本当の力に、還ろう。
そう思ったことを思い出す。
急に断食をするようになった。
今まで体を汚染する食べものを口に入れていたことを、強烈に恥じた。
もったいないことをした。と感じた。
体が鈍れば、思考も、感覚も鈍ってゆくことを直観していた。
断食は、ものすごい浄化力を僕に見せつけた。
断食後の朝、尿の色が醤油のようだった。
5日程の断食後。氣持ちが晴れ晴れし、これから本格的に、本当の自分に還ろう。
そう決意した僕は、とても懐かしい氣持ちを感じていた。
なんだろう。
幼い頃、純粋に夢や希望を口にすることに、何のためらいも恥じらいもなかった、そんな晴れ晴れとした氣持ちを感じた。
帰国後資金を集め、さも当然のように、日本を離れた。
行き先は、インドだった。
思い返せば、はじめての一人旅もインドだった。
3度目の、渡印だった。
ヨガの聖地であることは知っていたが、ヨガが目的ではなかった。
ただ、インドに行けば全てが分かる。
そんな根拠のない自信があった。
僕には時々、根拠はないがそう感じることがある。
誰かにいわれたことは決まって、結果は思わしくなかった。
内から湧き出る氣持ちに従ったとき、過ぎてみるといつもそこには、なりたかった憧れた僕が居た。
インドが僕を導く。
そんな確信と伴に一年半、インドで過ごした。
海にも行ったが、多くは山で過ごした。
ヒマラヤだ。
山籠もりなんて、仙人でもあるまいし。
そんな想いもあった。
仙人に憧れたわけではない。
ただ、人が生み出す思い込みから、距離を置きたかった。
共通の思い込みで、世界はまわっていることは知っていた。
お金と呼ばれる紙の束を、嬉しそうに数える人たち。
紙と一日分の労働を交換する人。食べものと交換する人。
山から降りた後の街の光景は、滑稽に映った。
山の人と書いて仙人。
谷の人と書いて俗人。
自分を仙人だなどと偉ぶる氣持ちは毛頭ないが、そんな文字に込められた意味も垣間見えた。
山での生活は、自然と伴にあった。
ある家族の家にお世話になっていた。
4000mの高さから流れて来るうつくしい川の水で、顔を洗い、のどを潤す。
バッファローの乳と、土が生み出す豆、野菜と少しばかりの塩で味をつけた簡素な料理。
口にするものは、そういったものだった。
日中は、山の中を歩きに歩き、自然に触れ、その中で瞑想した。
一月も過ごしただろうか。
ある感覚が芽生えていた。
僕とは、100%自然なのだ。
僕は、自然で出来上がっている。
過ごした場所に、店はなかった。
お金は、そのデザインを忘れてしまうほど、使う機会がなかった。
土が生み出した野菜、川を流れる水、降り注ぐ太陽の光、バッファローの乳、鳥産む卵。
自然たちが僕の口に入り、僕の中を流れ、僕自身になっていくという感覚。
僕から出て行くものは、また川となり、土となり、新たないのちを育む。
それで、世界は、僕はまわっていた。
僕は、僕こそが自然であることを心の底から理会した。
自然という文字を眺めた。
自と然から出来上がる。
自はもちろん、わたしという意味。
では、然は?
然は、「しかり」と読む。
然りとは、「その通りである。」という意味。
自然、それはまさに文字そのままに、「わたし、その通りである」とずっと前から、僕に提示していたのだった。
自分とは、わたしを分けると書くように、自然を分けていただき、出来上がっていた。
氣がつくのに、長い年月がかかった。
ペットボトルに入ったものが水だった。
プラスチックで包装されて、何から出来ているか分からない物が食べものだった。
科学調合され、白い錠剤になった物が薬だと思っていた。
暗くとも、スイッチ一つで明るくなった。
悪氣があったわけではないだろう。
善かれと思ったのだろう。より便利にと思ったのだろう。
ただ、自然から遠くなった。
わたしから、遠くなったのだ。
わたしから遠くなったまま、どこに向かおうというのだ。
僕は僕に還ろう。
そう思い、インドに来たことに、やはり間違いはなかった。
インドは、ヒマラヤを僕に差し出し、僕を自然とつなげた。
僕は、僕に還った。
自然との繋がりを、取り戻した。
僕は、自然だ。
僕の抱く、奥底からの願いは、自然の願い。
僕は、この体を通し、自然の願いを実現してゆく一生命体。
Yogaとは、「つなぐ」という意味だ。
わたしに一番近い所に住む自然である体と、わたしそのものである意識とつなぐ。
呼吸を使ってつないでゆく。
意識が繋がった先は、体を通り抜け、大自然の英知へと伸びる。
そこは果てなく宇宙へと続いている。
自然の中には法則がある。
調和。
これが自然のエネルギーが向かってゆく場所。
全ては、調和へと向かう。
風が吹くのも、雨が降るのも、嵐が起こるのも、全ては調和へと向かう力。
病氣と呼ばれる、様々な症状。
病氣など、人間が付けた呼び名に過ぎない。
ガンも糖尿病も、肝硬変も、動脈硬化も、高血圧も、全てただの呼び名だ。
あらゆる病氣は、血液の汚れから生まれる。
体には、調和させようとする力が宿っている。
なぜなら、体は100%自然だから。
自然の神秘が体に流れる。
汚れた血液を清浄にするため、汚れを除去する。
肝臓や腎臓が解毒を司る。
毒素が多すぎると、腎臓や肝臓がやられる。
腎臓病、肝硬変と呼び名が充てられる。
取りきれない汚れは、血管が内膜に貼付けてゆく。
血管は太くなり、堅くなってゆく。
動脈硬化と呼び名が充てられる。
取りきれない汚れは、細胞が塊を作りゴミ溜のように膨れ上がってゆく。
細胞がその身を捧げ、浄化装置として役を買って出ているのだ。
それが、ガンと呼ばれる。
切り取ったり、放射線を当てたり、している。
なんと、愚かな。
ストレスに晒され、過剰にむさぼった結果、血液が汚れたのだ。
その血を浄化することに、全神経を注ぐべきだ。
その身を、浄化のために捧げたがん細胞に。
どこまでも調和させようと働く、自然の神秘に、畏敬の念を抱くことを忘れ、切り取るとは。
ガンは、血の汚れの最終形態だ。
生活習慣を変えよ。
氣を改めよ。
自然からの声を無視し、今のままでい続けたいというなら、結果を潔く受け取るのが筋。
病氣は、調和へと向かう体に宿る自然の神秘が起こしている。
今、神秘の力が弱まっている。
自然治癒力が、弱まっている方々が多い。
文字通り生きる力が、弱まっている。
自然でないものが、食品と呼ばれ市場にあふれている。
科学調合された白い錠剤が薬だと思われている。
口に入れ続ければ、体の自然の力は弱まる。
なぜなら、僕たちの体は、自然からでしか出来ていないからだ。
体の内に流れる神秘の力。
自然治癒力。
生きる力。
それを呼び覚ます。
もう一度、自然と繋がる。
Yogaでつなぐ。
今こそ、yogaが必要なのだ。
それも、本当のyogaが。
体の内へと向かい、自然と繋がってゆく道へ入るには、緊張は置いていかなければなない。
完全に弛緩し、リラックし、すべてを委ねる状態でこそ、自然へと繋がってゆける。
扉は、呼吸が開く。
自然と繋がりを取り戻せば、自然の神秘があなたを救い出す。
どんな呼び名を当てられた病氣も、木っ端みじんに粉砕し、洗い流す。
大浄化が起きる。
嵐の後は、晴れ晴れとした晴天が広がる。
その場所まで、お連れしたい。
様々な思い込みで、私達はがんじがらめだ。
薬は、科学調合された錠剤だと思い込んでいる人たちがまだ多い。
歯がゆい。
Yogaクラスに来て欲しい。
定期的に、通って欲しい。
そう大声で言いたい氣持ちもある。
薬とは、体の奥底に流れる自然と繋がった先にあるものだ。
橋渡しは、yoga。
一度で効果は出ない。
すぐに緊張は、取れない。
現代は緊張型社会だ。
緊張していた方が、物事はうまく進む。
それぞれが抱える緊張は、氷の塊のように膨れ上がっている。
どうか、緊張を溶かし、自然との繋がりを感じていただきたい。
そのために、この身を使ってゆく。
僕が病氣を治すわけではない。
僕が、生きる力を与えるわけではない。
全ては、繋がった先の自然の神秘が行う。
入り口まで、お連れできたらと思う。
結果的には、自分のクラスへ出ていただきたいという宣伝のようになってしまった。
もちろん、僕のクラスでなくとも構わない。
自然との繋がりを取り戻す方法は、yoga以外にもごまんとある。
ただ、僕が他の方法に通じていないだけのこと。
生きる力を、生まれた意味を、本当の実力を、一人ひとりが取り戻し、輝き笑う。
そんな日を願っている。
変化を望みながら、望む変化そのものとして、日々活動していきます。
ご共感いただける方、どうぞよろしくお願いいたします。
お読みいただけたこと、感謝致します。
ありがとうございます☆