〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

CDを作っています。

こんにちは。

 

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。

 

 

2週間ほど記事を書いておらず、その間せっせとあることをしておりました。

 

 

その間に季節はすっかり夏にシフトしており、最近は安曇野もとても暑い日が続いています。

 

日中は汗ばむほどの陽氣になりますが、朝晩は凛と涼しく澄み渡っており、世界中で一番氣持ちのよい朝は、この季節の安曇野の朝なのかなと感じています。

 

 

今日も氣持ちのよい空氣が體一杯に吸えること、この世界を今も体験できることに感謝です。

 


さて、冒頭であることをしておりましたと綴り、ややもったいぶったような出だしではありましたが、何よりも先にタイトルがことを伝えておりました。

 

 

そう、今CD制作をしております。

 


瞑想の薬としての恩恵をお伝えしたく、活動していますが、より多くの方に瞑想をお届けできたらとかねてより瞑想CDの制作を実行しよう思っておりましたが、CDで使う音源の著作権の問題で行き詰まり、滞っていたのでした。

 


そんな中、音源に使いたいと思っていた「かむおん」さまに許可を頂けたことと、ヒーリング音楽の大御所である「宮下富実夫」さまの音源をご提供いただけることとなり、瞑想CDの制作が本格化し始めたのでした。

 


とても、ありがたいことです。

ありがとうございます。

 


音源は申し分なく、聴いているだけで細胞分裂が活性化する感覚があります。

 

 

そこにナレーションとして、誘導を入れていく予定です。

 

 

録音したものを聞き返し、何度も書き直しを加え、やっとこれで効果が出ると感じるものが仕上がりました。

 

 

明日がレコーディングです。

 


アイマールレコードさんという松本でCD制作を行っている方に録っていただきます。

 


手にとっていただいた一人ひとりが、一番心地よくリラックスできる場所で、CDを聴いていただける日を目標に、せっせとCD制作に力を注いでいきます。

 

 

写真展をしたり、トークイベントをしたり、本を書いたり、ヨガのクラスを行ったり・・

いろいろしてきましたが、すべては体験を表現すると言う一点が原点で原動力でした。

 

 


今までで一番深く表現できる氣がしており、わくわくしています。

 

 


お手元にお届けするまでには、もうわずかお時間を頂く予定ですが、その間に瞑想の薬としての恩恵を十二分に詰め込もうと思っています。

 

 

明日のレコーディング、どうかうまくいきますよう・・☆

 


今後も完成までの過程をこちらに綴っていけたらと思っています。

 

お付き合いいただけます方、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

偽物が多い世の中に本物を。


こんにちは。

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。



クラスでは、いくつかの呼吸法を毎回のように行っています。



呼吸法や瞑想を毎回のように行うことの奥には、「不安や緊張から開放され、この世界をより自由にのびのびと生きる」ことに繋がってゆくと個人的に確信があり、内側が外に表現することを求めているからです。



心配性で精神的にも落ち込みやすく、加えて毎日下痢氣味であったわたしでしたが、現在は以前より心配は少なくなり、落ち込んでもすぐ回復し、日々快便です。



心配事の数と、落ち込みやすさや回復のしやすさ。そして毎日快便かどうか。


これらは、実のところかなり連動性があるとわたしは感じています。


今回は、同時にそれらを快方へ向かわせる呼吸法の紹介をさせてください。




多くの呼吸法への応用が効き、継続することでの恩恵も多大な「クンバカ呼吸法」を今回は綴っていきたいと思います。

クンバカ呼吸法は、「息を吸い上げて止める」ところに一番の特徴があります。


息吸い上げて止めているとき、一番力がこもる場所が横隔膜であり、横隔膜を鍛えてゆくにはとても効果的な呼吸法となります。


「息を吸い上げて止める」と同時に「肛門の締め上げ」も行っていきます。


肛門の締め上げを行うことで、骨盤を下から支え、息を吸い込みながら横隔膜を下げてゆくことで、腹圧が高まり内臓が圧縮されたような形となります。


これは実際にクンバカ呼吸を試し、実感してみてください。


クンバカ呼吸を始めた当初は、横隔膜がさがってゆく感覚が掴みにくいかもしれませんが、一月も続けていれば手に取るように分かってくると感じます。


息を吸い込み、横隔膜を下げ、肛門を締め上げたときに腹圧が高まっていきます。


横隔膜から肛門(骨盤底)まではパワーハウスと呼ばれ、まさにエネルギーが生まれる場所だと感じます。


パワーハウスの中心は丹田となると感じており、「丹」とはエネルギーのことであり、「田」は溜る場所と文字の示す通り、お腹が力の出所であることは、言葉からも疑いの余地がありません。



また肛門近隣の筋肉は、仙骨の動きを総括しており、仙骨の位置を整えてゆくためにも肛門の締め上げを続けることは非常に効果的だと感じます。


今回詳しくは割愛しますが、仙骨は仙人の骨と書くように、あらゆる骨の中でも神秘に満ちており、その実態は現在も分からないことが多いと言われてはいますが、仙骨は間脳にも直結しており、また大腿部から親指まで仙骨神経叢を基軸として太い神経が通っています。



頭が冴えなかったり、足の指の動きが芳しくなかったりという方は、仙骨を刺激すると快方に向かうと感じます。




その仙骨の動きを総括し、場所を定めてゆく肛門周りの筋肉は意識していて損はありません。



また、肛門は生きている以上、締まっているのが常です。

死んだときにのみ、ゆるむ筋肉です。

つまり、肛門が締まっていることは生きている証。

生きている証を更に締めてゆく。

それは、もっと生きるということであり、生命力を高めてゆくことだ。と言われています。





横隔膜を下げると同時に肛門を締めてゆく。


この行為による恩恵はまだまだ続きます。




横隔膜を下げ肛門を締め上げてゆくと、腹圧が高まり、内臓が刺激されます。



内臓は、それぞれが膜で覆われています。

内臓の動きが芳しくない場合、内臓と内臓はそれぞれの膜の間に癒着が生じていると感じます。

腹圧を高め、内臓を刺激し、内臓と内臓の間の膜同士の癒着をはがしてゆくことは、内臓の血流を高めることはもちろん、ナウリ浄化法へ続く道でもあります。



また腸がダイレクトに刺激されることでセロトニンが分泌されます。

セロトニンは、しあわせを感じることと関係の深いホルモンですが、8割りが腸からつくられていると言われています。



また腸は脳と形が似ていることからも、脳と関わりが深いように感じます。

腸が動いているとき、脳は動きが鈍くなり、腸が休んでいるとき、脳は活発に動きます。

食べ物を食べると眠くなり、断食後や空腹時はひらめきが多いことからもうなずけることだと感じます。



腸を刺激し、活発にさせ、良く休んで頂くことは、脳に良いのだと感じます。




また、瞑想は呼吸の深まりと連動して深まってゆくと感じますが、瞑想が深まってゆくとき呼吸が停止しているような状態になることがあります。



瞑想は、死を知るための道でもあるという方もおられますが、完全に意識のみの領域へ入ってゆくためそう言うのかと感じます。

「いしき」から息を引き取ると、「し」となり、息が止まった後の意識は、死の領域へも旅ができるのではないかと言葉からも感じています。


瞑想時に息が止まったようになることと、クンバカで意図して息を止めることは全く別物ですが、呼吸を深める横隔膜を育てることのできるクンバカ呼吸法は、瞑想を深めるためにも役立ちます。




ヒマラヤ山中でクンバカを教えてくれた氣功家のチョイさんは、クンバカのことを「オウギ」だとして教えてくれました。


「誰もができる。ただし、誰もが3日で忘れてしまう。続けることができたらそれが奥義となる」と教えてくれました。


その教えを守り、半年が経ったある日、はっきりとその効果が手に取れる出来ごとへクンバカは導いてくれました。






わたしたちの身の回りには、おかしなものが溢れています。

3日で資格が取れます。50万円。

一週間で身につきます。100万円。

一日で即座に手に入ります。万円・・

という、どうしようもないものが蔓延しています・・


そういったものに飛びつくのもこの世界の楽しみの一つなのかもしれませんが、確かなものこそ時間がかかるのだと思いますし、確かなものこそシンプルなのだと個人的には思っています。


長々とクンバカ呼吸法の効能を綴りましたが、これからもクンバカを続けて行きたいと感じています。

お金も殆どかかりませんし、続けることで着実に登っていける道だと感じます。

ピンと来た方いらっしゃいましたら是非、日々の中に取り入れてみてください。

伴により自由になる道を歩めたら幸いです。


長いにも関わらず、最後までお読みいただけましたこと、感謝申し上げます。




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機動戦士ガンダムから瞑想を綴る


こんにちは。

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。



最近クラスにご参加いただいている方々から、精神面や体の調子が良くなってきたという声を聞くことが増えてきました。



とてもうれしく、日々の中に瞑想を取り入れて頂けていることに感動を覚えます。


大げさかもしれませんが、生きていてよかったと感じます。




瞑想とは、
「肉体がこの世界を体験するための入れ物であり、本体が意識であることに氣がつく時間」
とわたしは捉えており、肉体を完全弛緩させることで、意識で存在している状態へ近づけていけるようクラスでは瞑想を誘導しています。



社会生活を営んでいれば、目を開いて生きることが常であり、目を閉じて数分を過ごそうものなら即クビになれるという激しさを備えている日本社会。

なんともすてきな所に生まれてきたものだとつくづく思います。



そんな日本に今こそ瞑想は必須!という確信のもと活動をしております。



「肉体がこの世界を体験する入れ物であり、本体が意識である」
とさらりと綴ってしまいましたが、肉体が入れ物であるという感覚をより鮮明にイメージする為に、今回は機動戦士ガンダムを例に挙げさせてください。



ガンダムを例に挙げますが、わたしは大層なガンダム音痴ですので、ガンダムを知らない方も氣兼ねすることなく読み進めて頂けたらと思います。


ガンダムにお詳しいガンダムマスターの方は、お手柔らかにお読みいただけたらありがたいです。






機動戦士ガンダムは、モビルスーツと言う乗り物に人が乗り込んで、ドラマを繰り広げてゆく物語です。


わたしは、このモビルスーツがわたしたちの肉体であると感じています。



モビルスーツ 左がザク(弱い)右がガンダム(強い)



モビルスーツにはそれぞれ特徴がありますが、実際に動かすのは乗組員です。



わたしたちの世界では乗組員が、意識であり、肉体というモビルスーツに意識が乗り込んで動かしています。




どんな上等なモビルスーツも乗組員がぽんちゃんであれば、大した活躍はできず、あまり芳しくないスーツも乗組員が強力だと活躍できるのだと感じます。




☝強力な乗組員シャアが乗ったザクがガンダムをやっつける




恋愛シーンも機動戦士ガンダムに出てくると思いますが、恋愛するのはあくまでも乗組員同士であり、モビルスーツ同士ではありません。

モビルスーツ同士で恋愛していたらちょっと嫌です。




あくまでも主役は乗組員であり、わたしたちの世界で言えば意識であると思います。



「肉体がわたし」と思っていらっしゃる方は、モビルスーツの乗組員が熟睡したままか文字通り意識不明状態で操縦している状態だと言えると思います。





一度モビルスーツのパワーをOFFにし、乗組員として活動してゆくのがわたしたちの世界では瞑想となるのではないかと思うのです。



ですので、瞑想に入るためには、肉体は完全弛緩(OFF)する必要があります。



乗組員に戻って、本来の任務や役割を確認し、もう一度乗り込んでゆく。



ガンダムにおいてもこのような事はとても大切で、モビルスーツに乗り続けていては乗組員も参ってしまうでしょう。



瞑想せず、体調や精神が何だか芳しくないと感じる方、それは弱いのでもなんでもなく仕組みなのだと感じます。



瞑想をし、意識である本体に戻り本来の任務を思い出し、再び肉体へと乗り込んでゆく・・




補足ですが、
瞑想をするだけで、意識はクリアになり体の不調は回復に向かっていきます。
脳も活性化し、続けることで不安を感じる扁桃隊は縮小し、直観を司る前頭葉松果体は肥大化し、右脳と左脳のバランスを司る間脳は太くなっていきます。
これらは実験でも証明されていますが、わたし自身も身をもって自身の脳が物理的にも変化していった過程を体験しています。




一度、本体に戻ることがとても大切なことなのだと感じます。




ドラクエ5でゴレムスが最後に覚えた最高の回復技も「めいそう」でした。ドラクエは知っていたんだ。すげー。

ゴレムス





最終的にガンダムとは無関係なゴレムスまで登場させてしまいました。
そんな中でも、今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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~交流会から見えてきた本当の願い~

こんにちは。

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。


GWのまっただ中の今日、こちら安曇野は晴天の中、猛烈な南風が駆け抜けています。


記憶によると今日は雨予報だったかと思ったのですが、風さんのお陰で大晴天です。


お出かけを楽しまれている方々にとって、氣持ちのよい日となるのかな。

清々しい日をどうぞ楽しまれますよう。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



先日、「たまからyoga」の交流会として「魂と体をつなぐハヤシライス」略して「タマカライス」というイベントを開かせて頂きました。


月曜クラスをマネジメントして頂いている着物着付師「equinox」さんと話している際に、「交流会しよう!」と急遽思いつき、数日後に開催となりました。


開催まで数日にも関わらず、多くの方にお越し頂け、みなさんで料理したりセッティングしたりと、手作り感満載な空間と料理で、とても楽しいひと時を頂きました。




みなさんと準備している中で、感じたことがありました。





「僕がやりたかったことは、きっとこういうものなんだ」

みなさんとやりとりしながら、確かにそう感じていました。







初めてお逢いする方々が、何かしらの巡り合わせのもと一つの場所に居合わせて。


個と個であったものが、出逢い、触れ合いながら、重なりながら、溶合ってゆく。





初対面のぴりっとした「氣」が流れる瞬間。


イベント終了後の滑らかなここちよい「氣」が流れる時間。





間には、それぞれの「氣」のやり取りがあって、すこしずつすこしずつ溶合って、調和へ向かってゆく。




調和した後は、とてもとても心地がよくて。


それぞれの「氣」がそこではもう繋がっていて。


不安は、安心へとその姿を変えている。





そんな時間を、たくさんたくさん作りたい。



そして、ひとりでも多くの方が警戒することなく、怯えることなく、人と「氣」の交流を楽しんでいただきたい。





そう感じました。






「わたしが行ってもいいのかしら?」


「場違いだったらどうしよう・・」


「変な人って思われたら嫌だな」


「嫌われたくない」


「無視されたら・・」




知らない人が居る初めての場所に行くときに、多くの人が抱くようなそんな想い。




そんなもの、すべてぶち破って、打ち捨てて、「あなたはここにいていいんだ」って心臓を貫くような大声で伝えたい。




そんな想いが僕にはあります。




でも、一筋縄じゃいかないんだよね。




とても人見知りで、人と関わることに臆病で、目もろくに逢わせることができなかった僕には、それがよくよく分かります。





「場違いだったら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「場違いだ」と思うから。



「変な人って思われたら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「変な人」と思うから。



「嫌われたら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「嫌う」から。



そして、それらの奥には、紛れもなく過去に「傷ついた記憶」が眠っています。




僕たちは「人にどう思われるのか」を氣にします。



その「どう思われるのか」という目は、紛れもなく、「あなたが他人を見ている目」



同じ目で、自分自身を見ています。



目は、過去により作られ、全自動で動きます。


目は、全自動に瞬時に、判断しています。

目は、分析し、相手を見定めています。


その目を、ゆるめてゆく。


その目を、見つめて解いて、奥にある目が作られる元となった記憶へと帰ってゆく。


そして、本当のあなた自身の目と繋がってゆく。


その過程そのものを癒しと呼び、僕が瞑想と呼んでいるもの。




大切なのは、「人にどう見られるか」ではなくて、「人をどう見ているか」



目が変われば、より自由になれる。

自由につながってゆける。



「魂と体をつなぐyoga」


yogaとは、「つなぐ」という意味。



「魂と体をつなぐつなぐ」

連続しています 笑



余程、つながりを大切にしたいのでしょう。


つながりの大切さを知ったのは、分離を体験したから。


もう、分離の時代は終わっていい。


瞑想もyogaも「自らを知り、自らと繋がり、人と繋がってゆく」その道の上にあるものだと感じます。



玉ねぎの薄皮をはぎ取るような、氷の塊を徐々に溶かしてゆくような、そんな道なのかもしれません。



道の上にころがる恩恵は、つながりであり、感動であり、充実であり、仕合わせ。



繋がって、仕事を合わせ、しあわせ、充実、感動。



多くの方と伴に歩むことができたらそれはより最高の道となる。

そう感じています。


「魂と体をつなぐハヤシライス」
とてもとてもすてきな時間を頂きました。

今後も繋がってゆけるイベントを発信できたらと思います。


そして一歩一歩自身と向き合い自身と繋がってゆく「瞑想・yoga」もより確かなものとして発信します。

どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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ヒマラヤンエピソード「実感する奥義・クンバカ呼吸法」

こんにちは。

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。



前回のブログで、様々なことを教えて頂いた氣功家の「チョイさん」について綴りました。



氣功家のチョイさんが「ディスイズ、オウギ」とお伝えしてくれた呼吸法を最近「ナウリ浄化法」のクラスで扱っていました。


氣功家のチョイさんがなぜ、奥義と言う日本語を知っていたのかは兎も角として、個人的にもとても効果を感じている、その呼吸法を今日はこちらに表現させて頂こうと思います。



よろしくお願いいたします。



では、いきます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


師匠であるチョイさんは、韓国で20年程氣功を学んでいたようです。



そのチョイさんが、奥義だといい、さまざまな事柄の中で特に重要だと教えてくれた呼吸法が「クンバカ呼吸法」となります。


チョイさん自身は、「クンバカ呼吸法」という単語は使いませんでしたが、僕がその後様々な呼吸法を調べてゆくうちに、チョイさんがお伝えしてくれたものが、インドのヨガに伝わっている「クンバカ呼吸法」であることが分かりました。




蛇足ですが、チョイさんのお家には、「ウジャイさん」と「ナウリさん」というおばさんがチョイさんの奥様と伴にくらしており、毎日の様に僕は彼女たちにお世話になっていました。


後々、呼吸法を探究してゆく中で、「ウジャイ呼吸法」や「ナウリ呼吸法(浄化法)」と出逢い習得してゆくこととなっていきます。



おかしな話のようですが、人の名前や土地の名前を初め、出逢う人の言葉、行動、そういったものが大いに進む道の導きとなり、瞑想修行の旅を続けていきました。



話しても一笑されてしまうような導きですが、確かな手応えは日を増すごとに自身の中に積まれてゆき、人知れず僕はこのような日常に散りばめられたヒントを重要なガイドと捉えていくようになっていきます。



まるで、見えない天使のような何かが、僕の日々にさりげないガイドをそっと置いてくれているような感覚です。




話をクンバカ呼吸法に戻します。


チョイさんがオウギと呼ぶクンバカ呼吸法、この呼吸は、普段意識しない部分を大いに活用します。



まず、「息を止める」ことを使います。



意識的に「息を止める」ことができるのは、動物の中で人間だけのようで、「息を大きく吸い込んで止める」時に、呼吸筋である横隔膜は最大の緊張状態となります。


力がめいっぱいこもっている状態です。


ですので、横隔膜を鍛えるにはとても適切な状態です。




次に、息を止めた状態を保ちながら、肛門を締め上げていきます。



肛門が絞まっていることは、ヨガの世界で「生きている証」と言われます。



生き物は生きている間、ずっと校門は閉まっており、死んだ時、完全にゆるむようです。



「生きている証」である肛門の締まりをより強化することは、「もっと生きる!」ことであり、「生命力を上昇させる」ことだとされています。



そして、横隔膜を使い息を吸い込み、お腹が膨らんだ状態で肛門を締め上げてゆくと、腹圧が高まり、様々な効能が姿を現してゆきます。





チョイさんは言っていました。


「ティスイズ、オウギ!」

「オウギイズ、ベッリイーー、シンプル!」

「エブリワン、ポッシブル!」

「バアット!!エブリワン、フォゲット、ウィズインスリーデイズ・・」

「ソー、ティスイズ、オウギ!」



簡単に訳すと、

「奥義はとても簡単で、誰でもできる。けれど、誰もが3日で忘れてしまう。だから、奥義なのだよ。」

となります。


「バアット!!」と特に強調するあまり、つばを飛ばしてきたチョイさんを可愛らしく思い出します。


教えてもらって3日目で僕も忘れかけましたが、その都度チョイさんが指でおしりの穴を閉めているジェスチャーをしてくれたので、続けることができました。


「ダイ san、グッモーニン」

「ダイ san、グッナイ」

と挨拶に交え、おしりの穴が絞まっているか?とジェスチャーを送り続けてくれたチョイさんには、本当に頭が上がりません。



僕を知る方はお氣づきのように、僕は元々線が細く、どちらかと言えば虚弱体質でした。

お察し頂いた通り、何かあればすぐに下痢をしてしまう、神経過敏な面がありました。

緊張しやすく、動揺しやすい性格でした。

そんな自分の側面をどうにかしたくて旅に出たという部分も少なからずありました。



クンバカ呼吸を続けて6ヶ月あたりから、下痢とは一切縁が無くなりました。


そればかりか、インドの生水を飲んでも平氣になるほど、内臓が変化し、これには自分でも驚いています。


人前に立つ日の前は、下痢に苦しみ、緊張して声がうわずることも多かったことがかつてはありましたが、今では適度な緊張を心地よく楽しめています。


もちろん、全く緊張しない訳でも驚かない訳でもなく、人と比べてどうこう言えることはないのですが、かつての自分とは比べ物にならない程の恩恵を確かに頂いている実感があります。



また、氣分が安定しました。


もちろんバイオリズムの中で落ち込む時もあるのですが、長くても半日で切り替わり回復します。

かつては一週間ほど一つのことが氣になり引きずっていたことを思うとこちらも驚く程の変化です。



クンバカが日常にとけ込み、一部分となりながらも今も時々忘れています 笑

皆さんと伴に、クンバカ呼吸法を続けてゆくことでの恩恵を伴にできたら嬉しいです。
チョイさんも、きっと嬉しいです。


最後に、クンバカ呼吸法のやり方を動画として張っておきます。

よろしければ、動画と伴に呼吸してみてください。

慣れてきたら、手を当てずとも意識だけで、いつでもどこでもやって頂けたらと思います。

こちらを続けることは、「ナウリ浄化法」への道にも繋がっていきます。

「ナウリ浄化法」の習得を目指されている方には、とくにお勧めしたいものとなります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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ヒマラヤンエピソード「師との出逢い」

こんにちは。


Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。



前回のブログで、ヒマラヤでの生活について綴っていた所、連鎖する様に当時の出来ごとを思い出し、中でも強い影響を与えてくれた人物が浮かび上がってきました。


ヒマラヤ尾根のとある集落で、目の前には7000mの山々がそびえている環境で、その方と過ごした日々は、旅の中でも色濃く残っています。



折角なので、今回はその方について綴れたらと思っています。



氣功を長らくやっているその方は、ヒマラヤに暮らしているものの元々は韓国の国籍を持っており、名を「チョイ」さんと言いました。



チョイさんは、ことあるごとに僕を「ダイsan、レッツゴートゥージャングル」とヒマラヤのジャングルの中を案内してくれ、毎回の様に不思議な教えを与えてくれる存在でした。



岩の間から咲いている花に手をかざし「ルック、ディース」といいながら花をわずかに動かしてみせたり、「ディスイズ、UFOプレイス!」と不思議な岩の上で瞑想する様に教えてくれたりと、今まで知ることのなかった世界へ僕を導いてくれました。



彼のつたない英語が僕には聞き取りやすく、彼も意志の通じる僕の存在を喜んでくれている様に感じられ、朝から晩までともにジャングルの中を歩き回ることもある程、仲良しの存在でした。



当時、僕は「氣」を個人的に探究しており、20年程前に現代の仙人と呼ばれていた「高藤総一郎」氏の残した本を手がかりにしていました。



そんな僕の前に生ける氣功家として現れたチョイさんは、僕にとってはとてもとても興味深い存在でした。






ある日、お互いにつたない英語で会話をしていました。




「ダイsan、アイノウ、ユアカントリーユーズカンジ、マイカントリーセイム」

どうやら、チョイさんは日本で文字として漢字が使われていることに興味をもっているようです。




「ハウトゥ、ライト、ユアネームカンジ」

漢字で、僕の名前をどう書くのか教えてくれと言っています。




バイザウェイ、マイネームユーズ、ディス」

チョイさんはそう言い、自分の名前はこの漢字を使うのだと、おもむろに紙に書き始めました。




そこには、「崔」の文字が書かれていました。

「ディス、カンジ、ミーンズ、リブイン、マウンテン、ソーアイリブ、ヒアー」


「崔」の文字は、見た通りですが、山に住むという意味があるようで、だからチョイさんはここヒマラヤに住んでいるのだと言います。

何とも後付け感が否めず、受け答えに戸惑っている僕を見たチョイさんは続けます。




「アイキャン、ネームリーディング、リアリイ」

名前占いができるのだと言います。




僕は、自分の名前「山崎大」と紙に書きチョイさんに渡しました。




「オーホー、グッドカンジ、デスネー」
デスネーと日本語を交えていることに驚きながらも、どんな占いをするのか興味深く待っていました。

チョイさんは、なぜがカタコトの日本語が時々混じるのでした。




「山崎大」を「山」から順に左→右へチョイさんは占っていきました。





「山イズマウンテン、ネクスト、スモールマウンテン」

崎の字の山偏がスモールマウンテンのようです。





「ダブルマウンテン、ディスミーンズ、マウンテンズ」

そう言い、チョイさんは山を沢山描く仕草をします。

山単体ではなく、山脈を表したいようです。





「崎」の文字の占いは続きます。




「マウンテンズ、プラス、ビッグ、アンド、ポッシブル、デスネー」

「崎」は、「山」と「大きい」と可能の「可」からできていると言いたいようです。




「ディスミーンズ、ヒマラヤ!!」


突然チョイさんは興奮し始めました。



「山崎」はチョイさんのリーディングによると、「可能な限り大きい山脈」を意味しているのだと言います。





「ユアネーム、山崎大、ミーンズ、グローリーアップ、インヒマラヤ!!ソー、ユーー、アーー、ヒアーー!!」



チョイさんの興奮は、ヒマラヤの頂きに達するかの如くです。






チョイさんは鼻息荒く、僕にこう説明してくれたことを記憶しています。



「大」とは大きく成長するという意味、「山崎」はヒマラヤ。

あなたの名前は、ヒマラヤで大きく成長するという名前だよ。

「だからあなたは、今ここ、ヒマラヤにいる!」と声を大にして興奮とともに説明してくれたのでした。



僕自身、ここ数日の自分自身の成長を肌で感じている最中でしたので、「おおーー!!!」と驚きの声と伴にチョイさんの占いを受け取ったのでした。



チョイさんは、ことあるごとに一緒に瞑想してくれたり、「氣」について実践を交え教えてくれたりしました。




奥義だといって教えてくれたこともありました。




それらもまた、こちらに機会を見つけて綴っていけたらと思います。





つたない英語を多用したため、読みづらい文となり申し訳ございません。




そんな中でも、最後までお付き合いいただけたこと、ありがとうございます。



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ヒマラヤンエピソード「蛾と我とエゴ」の話

こんにちは。

Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いています、山崎大です。



大規模な熊本地震が起こり、今でも余震が続く日々が続いていると聞きます。

現場におられる方々とその家族、友人のみなさまに一日でも早い安らぎが訪れることを願います。





桜が散り、様々な植物が芽吹き出す季節となりました。



ここ安曇野は、新緑に覆われ新しいエネルギーで沸き返っています。

タンポポオオイヌノフグリヒメオドリコソウなどの春の小花が咲き乱れ、穏やかな陽氣に包まれています。



長期滞在したインドから帰国し、瞑想クラスを安曇野で立ち上げたのが、丁度去年の今頃でした。



回を重ねるにつれて、魂が本来表現したかったことに近づいている実感があり、伝えようとすることで自身の理会も深まることを感じています。


ご参加いただいている方々のお陰で、表現することが出来ています。


インドを始め、その他の国々で得た体験が行き場を求めて内側で大きな渦を描いており、表現として出てゆくことでわたし自身の身が軽くなる感覚があります。


いつも、ありがとうございます。




少しでも日常に役立つ力となるものを表現できるよう、今後も成長を続けます。


よろしくお願いいたします。







懐かしく思いを回想しながら、ヒマヤラで瞑想をしていたころの日記を読み返してみました。


当時、氣功家の方のお家に居候しながら、朝から晩まで修行三昧の日々を過ごしていました。



とても贅沢な時間を頂いていたものだとつくづく思います。





そんなある日、おもしろいメッセージがこころの中に流れ込んできたことがありました。



今日はその体験を綴りシェアさせて頂けたらと思います。




「我・エゴ」というものがなぜ、この世界に生まれたのか。

そんな問いを内側で発した時のことだったと記憶しています。





曇天のもと、ある小山の頂きで瞑想していました。





瞳を閉じ、結跏趺坐(あぐら)をとり、耳を澄ませていました。





上空で雲が唸っていました。


羽虫が耳元を通り過ぎていきました。


蟻が首筋を駆け上がり、噛み付いていました。


ヒルと思われる何かが足首をゆっくりと突き刺していました。


「首の蟻を払い落とせ」

「足首をすぐさま確認するんだ」


生存本能が声を上げていました。


足首の痛みを見つめました。

痛みは、普段認識している「痛み」から徐々にその姿を変えていきました。

痛みは、チリチリと細かく揺れうごきながら位置を変え、移動していました。



振動でした。



振動を、足首の皮膚が「痛み」として捉えていました。


口の中に何か、味を感じました。



味は、微細な振動でした。



微細な振動を、舌が味として認識していました。



そして、その認識すらも、もっと微細な振動だと氣がついたとき、



鳥のさえずる音も、這い回る蟻も、次第にすべては振動へとその姿を変えていきました。



全てが空間の中を、振動していました。



痛みも、音も、動きも、生も、認識も、全てが振動として存在している世界へ入っていったとき、わたしと言う隔たりは消えていました。



全てがただ振動し、全体で一つでした。




「全てが一つであるこの世界で、なぜ、我・エゴが生まれたのか」



そう問いかけたとき、雪崩の様に迫ってくるメッセージがありました。



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「人は、この世界を理解したかった。分かりたかった。」

「分けることで、分かろうとした。」

これは、蟻。
これは、ヒル。
これは、植物。
あれは、太陽。
これが、痛み。


「呼び名を与え、ひとつ一つを分けていった。呼び名を与え、ひとつ一つ分かっていった。」


「そして、あらゆるものと切り分け、最後に残ったのが「我」だった。」



我、あり。



「我」という文字は、左がノコギリを示し、右が戈(ほこ)で出来る


ノコギリと戈で切り分けて、分けて、残ったのが「我」



両手に、ノコギリと戈を持っている姿。



「我」は分ける。分かろうとするが故に。


「我」は分離してしまった。


世界から分離した「我」は、本当は一つであった世界と自分とが別々のものだと感じる様になった。



「我」は身を守ろうとする。自分だけ安全であれば良いと考える。



だから、両手に武器を持ち、自分以外を切り分け分別し、時には攻撃する「がーー!!!」と。



我の別名を「エゴ」と呼ぶ。



こちらにも、濁点として2つの武器がついている。



2つの武器からなる「我」は、武器を手放したらその姿を消し、「エゴ」の武器を手放せば、それはまた再び自然と一つの「エコ」となる。





今、人間の「我・エゴ」が強くなっている。


我が身だけ安全であれば良いと言う考えが、あらゆる問題の根となっている。


この根を、断ちなさい。


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後半に、ダジャレが散在しており、とても真面目で間違いないことのようで、どこか間の抜けたメッセージでした。


山から戻り、居候している家に戻るときに、氣功家の先生が僕を呼び止めました。



「ダイsan、カミーング!!ルック、ディース!」



指差す先には・・


「エクストラへヴィーな蛾」が佇んでいました・・


メッセージは、こころの中だけに留まらず、視界の先にまで届いてきていました・・


一瞬頭がぐらつく感覚を覚えながらも、今回のメッセージを胸に刻み、自身の「我・エゴ」と向き合う瞑想を再開したのでした。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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