〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

自然の力は、今この瞬間も癒そうとしている。


こんにちは。
〈Tamakara yoga~魂と体をつなぐyoga~〉のクラスを開いています、山崎大です。

初めに、地震被害に遭われた方、そのご家族、親しい方々へご冥福をお祈り申し上げます。

未だ余震が続き、不安と伴にお過ごしの方々が多くいらっしゃるかと思います。

一日も早く安心の日々が始まってゆくことを重ねてお祈り申し上げます。



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安曇野は、さくら満開を迎え、加えて大晴天。

昨日は一番長くお付き合いのある安曇野クラスの皆さんと、地元の光城山へ「お花見ヨガ」をしてきました。


自力で山を踏みしめ、芽吹いた草花から湧き出る氣を吸い込み、さくらと上空に広がる晴天に包まれている時間は、内側のいのちが目覚める絶好の機会となりました。


「お花見ヨガ」だけに関わらず、「自然への中へお出かけヨガ」と題して、これからも折を見つけて外へ出かけていきたいと思う一日となりました。


「お花見ヨガ」などと言っていると、全米ヨガアライアンスなど権威ある場所から資格を取得した方々から叱責されそうですが、お花見はれっきとしたヨガだと個人的には思っています。


晴天で花咲き誇る季節に、室内で一様に決まった姿勢をとっていることは、自然の立場から見ると不自然だと感じます。


どこから見ても100%自然からでき上がっている体を持って生まれ、口に入れるものも出てゆくものも100%自然である人間であれば、自然の中で自然のままに振る舞うことが良いと思うのです。




「自然の中で、自然のままに振る舞う」これが出来たのであれば、人間の持っているあらゆる病氣や問題は根こそぎ解消されてゆくと感じています。


大げさでなく、とても真剣にそう感じています。


ですので、ここから先はじっくり書いていこうと思います。



「自然の中で、自然のままに振る舞う」



「自然の中で」は、そのまま誰もが大差なく共通に思い描くことが出来るシーンだと思います。


では、「自然のままに振る舞う」とはどういったことなのか。
ここが重要な所です。


まず始めに、わたしたちは「自然のままに振る舞って」いません。


あらゆるルールや制限の中を生きており、言葉も行動も服装も髪型も、制限の中で決められた中から選んでいます。

怒りは当然の様に制限され、泣くことも、大笑いすることも、場所をわきまえなければなりません。


わたしたちの行動は、自然の立場から見たときに「不自然」であるということが前提としてあります。




花は、咲きたいときに咲きます。

人間が立ち止まらずとも芳香を放ち、もっともっとと言われようが、時が来たら枯れていきます。

自然の中で、自然のままに振る舞っています。




人間は、どう見られるかを氣にして行動を考えます。

どんな反応があるのかを考えて言葉を話します。

きれいって言ってもらえるような服装を選びます。



そのひとつ一つが、内側の自然から自らを切り離し、外側の評価を得ることに価値を見いだすサイクルを作り上げてゆきます。



そして不自然へと向かってゆきます。


その先に、体のコワバリやコリが顔を出し、病氣が生まれてゆくのだと感じています。


「病」とは悪い癖という意味を持つ漢字です。


病に見舞われたとき、それは「本当の自分、自然と離れてしまっているよ。」というメッセージなのだと感じます。



「自然のままに振る舞う」



もし、不自然を続けてきて、急に「自然のままに振る舞う」をしたとしたら、「咆哮し、嗚咽し、身もだえる様にめちゃくちゃな動き」をすると感じます。

もしくは、それらが同時に出ると思います。

僕自身は、瞑想中のある日それが起こり、何日も続きました。




それは、体の中に溜り込んだ怒り、悲しみ、やり場の無い思いたちが、表現として出てゆく場所を求めており、感じたものは表現されることが自然であり、溜め込まれたものも吐き出されることが自然だからだと感じます。


「いいや、僕は怒りなんて無いよ。全く感じていないもの」
と言う方もいるかもしれません。

誤解を恐れずに言うと、感じ取れていないだけです。


幼少より我慢を重ね、分厚い膜の下へと封じ込めてきたのです。


我慢している状況に耐えることは苦痛です。

苦痛が続くことを生存本能は嫌がります。


本能の働きにより、意識の深い部分へと沈められ、普段感知できない様に、それが当たり前のような状態になっています。


不自然を続け、不自然でいることに慣れ、本来の自分が本当に感じていることや自然な振る舞いというものを置き去りにしているのが多くに共通する現状であると感じます。


内側を目覚めさせてゆくこと。


そのためには、外側を取り去ってゆくことです。

外側とは、他者からの評価であり、ルール・制限であり、「〜するべき」で表される多くのことです。

まるで人間を囲い込む檻のようなそれらを引きはがし壊し去り、本当の自分自身を取り戻してゆくことが健康で活き活きと生きる上で大切なことなのだと感じています。


一見、動物的でおかしな動きをクラスでは取り入れています。

それは、評価や制限を壊してゆく為に役に立ち、自然のいのちとして生きる本当のエネルギーへのアクセスを可能にすると感じています。


ひとたび自然のいのちであるエネルギーへアクセスすれば、溜め込まれた怒りや悲しみ、言葉にできない感情たちは、排出へ向かっていきます。

それが、自然の働きだからです。


コリやコワバリも、自然のいのちは今この瞬間も癒し解こうとしています。


流れる自然の力を制限しているのは、紛れもなく自身の思考の制限です。


自分が自分を縛っている。


その制限を解くことが出来るのも、ご自身に他なりません。


大自然への全幅の信頼のもと、コントロールを手放し降伏してゆく。


そこから先、幸福の道が始まるのだと感じています。


身に起こる全てはお任せ状態。


体は咆哮を始め、嗚咽し、身もだえます。


自然の排出運動が目覚めてゆきます。


自然が目覚めたら、そこから先は自動操縦。


コリ・コワバリや病は消えてゆきます。



クラスでは、じっくりと時間をかけ排出運動へ向かっていきます。

制限やルールをひも解きながら、過去をひも解きながら、コントロールを手放してゆく道を進んでいきます。


僕自身もひとりの練習者として、その道を歩んでいます。


伴に開放と大健康への道を歩む同志がいることを願っています。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

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