〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

「○○を食べると、良い!!」

TAMAKARA YOGA~魂と体をつなぐyoga~のクラスを開いております、山崎大です。

瞑想をすることで、食への関心が高まり、食に対する思いも変わりました。

僕の食への立ち位置をつづりました。

お時間のあるときにお読みいただけたら幸いです。


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○○を食べると良い。
○○を食べると良くない。


朝食は抜くのが良い。
朝食はとらないと脳卒中になりやすい。
などなど・・巷には情報であふれている。


「どっちやねん。もうっ、いろいろ、うるさいわ。」
であったり、
「朝食は抜くのが良くて、あれ?でも脳しょっちゅうにはなりたくないから、たべる、けどだめ?あーれー。」

と感じている方々は、多いのではないだろうか。


僕自身、食べものに関しては割とこだわりを持っている方だ。
そのどれもは、総じて体験から導き出してきた。
どこかの博士が言っていたとか、研究所が出した実験結果だとか、そういったものに従うことは正直余り好きではない。


自分の体や人生に関わることを、どこかの博士様にお任せする程ふらつくつもりはないし、個人差というものが大いにあると感じている。


考えを率直に述べると、自身の外側に万能薬は存在しないと考えている。

これさえ食べていれば、大丈夫。
これさえやっていれば、大丈夫。

そんなものは、ない。と感じている。

ただ、そう思いたい氣持ちは分かるつもりだし、そう思ってきたことも実際にある。


この世界に、原因のないことは起こらない。僕は自身の人生を振り返りそう感じている。

全ての結果には、原因がある。

それが見えにくかったり、見るための方法をわたしたちが知らなかったりするに過ぎないと思う


体や精神の不調には、まず原因がある。

そして、似たような症状を表していても、原因となるとそれは千差万別であることは言うまでもない。

原因にアクセスできなければ、症状の根本解決にはならない。

原因が人によって違う以上、誰にとっても効果のある万能薬などないと考える理由はそこにある。


わたしたちは大事なものを忘れている氣がする。


人間は、この地球に生きているひとつの生命体だ。
独立して存在していない。
繋がりの中で、一つの波のように存在している。


であるならば、口に入れるものはどんなものが適切か、本当は皆知っているはずなのだ。
博士などそこに出る幕はない。


地球が生み出した自然のものが、口に入るのに一番適しているのは言うまでもない。
そして、暑い土地に暮らす生命には、その土地から生まれたものが適しているのは言うまでもなく、寒い土地に生きる生命には、そこのものを食せば良い。

寒冷地産の野菜たちが体を温め、熱帯の果物たちが体を冷やすことは、実験をするまでもなく自明の理だ。


そして、新鮮な空氣を取り込み、太陽の光を十分に浴びること。

どこかの会社の宣伝に従い、化学物質を肌に塗りこみ、太陽の日差しを避けやせ細り、精神を病む。
従った結果は、不健康への道。
どこに、向かいたいのだろう。
どこに、先導されてゆくのだろう。
誰が導いているのか、その先を見ているものは、いるのだろうか。


情報に翻弄さた先には、不健康が顔を出し、自らの健全な判断を失い更に情報に操作されてゆく現実があるのではないだろうか。
人間が繋がりの中を生きる一生命体であることを、腹の底から信じ切る必要に迫られているように思う。



太古のヨーロッパには、人の病を取り去るおばあさんがいたという。
おばあさんは、病のある人の家に伺い、家の周りを一周し、庭に生えている植物を摘み取り煎じて飲ませたようだ。

その土地に暮らす人には、暮らす場所に暮らす人にとって適切な植物が生えているのだという。
庭に生える植物を煎じて飲んだ方々の病は、改善されていったと聞く。


そして、病を治すおばあさんたちは、過去に魔女と呼ばれ、排除されていった歴史がある。

魔女狩りの後は、アロパシーと呼ばれる科学薬を用いた医療が世界を覆っていった。
アロパシーは、儲かる。

ナチュロパシーを初めとした自然医療は、自然が与える恩恵を使う。つまりただ同然なのだ。
ナチュロパシーで病が治っては、儲けたい思いを持った人たちに不利になる。
それ故に、弾圧され消されていった過去を持つ。


○○を食べると体に良い。
○○を食べると体に悪い。


そんな情報は、どうでもよい。

一人ひとりに、良いものも悪いものも違う。

暮らす場所が違えば、体に良い食べものも違う。

そして、わたしたちは地球に生きる一生命体だ。
生命体である以上、生命を口にするべきなのだ。
いのちは、いのちを口に入れるからこそ、その力をまた燃焼させることが出来る。


栄養学でわたしたちは汚染されてしまった。

食べものは栄養素などで分けられるものではない。

エネルギーとして捉えるものであり、さらにはいのちであるかどうかが鍵を握る。


発芽玄米が体にいいことは、それがいのちを含んだものであり、今まさに発芽するエネルギーがそこに宿っているものだからに他ならない。


生成されたビタミン剤など、生きてはいない。そればかりか、過剰に偏っている。取り続ければ、自然の産物である体はどうにかなるだろう。
厳しい言い方かもしれないが、化学薬など、論外。


そして、情報で何を食べるかを決めることは、もうやめなければ、情報が氾濫する今、どうにかなってしまう。


外側を見る時代は、もうすぐ終わりを告げる。

見続けるならば、わたしたちが終わりを告げる。

そのどちらかだろう。

外側に答えはない。

全ては内側に刻まれている。

何が体に良いかは、口に入れた後の内側からの声に従ってゆく。
それが人と違うことは、当然であり、同じになる必要はない。

内側からの声を目覚めさせる。


その方法はいくつもあろうが、僕が知っているのは瞑想だ。

内側に今も流れる、いのちを刻み続ける自然と繋がってゆく。

自然は今もいのちを動かし刻み、必要なことを伝えて来る。

すべては、内にいる大自然を動かす存在から聞き出してゆく。


病には、原因があり、それぞれの体験や環境によりそれは異なる。
解決法も、必要な口に入れる食事も、全て異なるのだ。

答えは、内側に。

瞑想は、病氣を治すのだろう。

それは、大いなる自然とつながる方法だからに他ならない。


様々な情報が飛び交い人を誘っている。
その先が、うつくしい世界でないことについ怒りを覚える。

文体も厳しいものになってしまい申し訳なく感じる。

人にとっては、攻められているように感じてしまうかもしれない。


極端であることは、自分でも承知している。

一つの意見として、お読みいただけたらありがたい。

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今回も最後までお読みいただけたこと、ありがとうございます。

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