〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

古代の儀式「アヤ・ワスカ」を綴る


みなさま、こんにちは。

TAMAKARA YOGA〜魂と体をつなぐyoga〜のクラスを開いています、山崎大です。

世界中を旅する中で、たどり着いた場所が、瞑想でありyogaでした。

現在は、地元を中心にクラスを開いております。

こちらでは、エピソードを交えyogaと瞑想について綴ってまいります。

ご興味のおありの方、お付き合いいただけたら幸いです。



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なぜ、僕が瞑想やyogaをお伝えしたいと感じているのか。


なぜ、よりによって僕が。


瞑想やヨガとは、随分と違う領域を生きてきた人間だ。


体を動かすことは、大学を卒業してから殆どしていなかったし、特別必要とも感じていなかった。


大金持ちになりたいとまでは思わないにしろ、それなりに物を望んでいた。

女性にももてたいと感じていたし、劣等感を優越感に変えたかったのだろう。
上質な物を欲しがっていたように思う。


そんな僕は、上質な洋服を扱うアパレル会社に勤めており、ある日脳卒中を起こしたのだった。


強烈に人生にストップがかかり、今までを振り返らざるを得なくなった。


泣いても笑っても、一度きり。


自分とは、後にも先にも、ここにしか存在し得ない。


そんな聞き慣れた言葉たちが急にリアリティを持って、僕の前に立ちはだかっていた。


覚悟を決めたと言えば、聞こえはいいかもしれない。



ただ、もう、どうでも良かったのだ。



脳卒中から人生は拍車をかけて、急な展開を見せていた。




人生という歯車が転がっていった。




加速度が増し、一定の速度がついた時、それはもう制御など出来なかった。




歯車は転がり続け、いろいろな物にぶつかり、蹴散らしながらやがて止まった。




止まった後は、ただ静かだった。




離婚し、職もなかった。





旅に出ることは、決めていた。



脳卒中で倒れ、運ばれた病院で決めたことだった。


「いつかやろう」と決めていた。


「いつかやろう」は、一生やらないということだと知りながら、決めていた。




でも、なぜだろう。


氣がついたときには、全てが揃っていた。後は旅立つだけだった。




「お前は、旅に出なければならない」そんな重圧を持って、人生そのものが迫ってきていたように今は思う。



旅に出た僕は、いろいろなものをみたいと思った。




「どうして、この世界に生を受けたのか?」
誰しもが、一度は抱きながらも、奥へとしまい込んだ疑問。




皆が感じている。



失うものなど、もう何もない。
ならば、僕はそこに身を投じよう。




旅を続ける原動力は、ただその一点においてだった。



貪るように国々を旅し、多くの人や文化と出逢っていった。



「もう、どうでもいい」

そんな僕の中に住み着いていた、投げやりな幼さは次第に癒され、人間が生きること、人がつながってゆくこと、苦しみが生むドラマ、自然が生み出す筆舌に尽くし難い情景、その奥底に流れる圧倒的なやさしさに、夢中になっていった。




旅は、僕に人との出逢いを用意し、自然との繋がりを思い出させ、生きることへの活力を取り戻させた。



旅が、僕を癒した。



ただ僕は、もっと知りたかった。




旅が僕に与えてくれた体験は、個人的なものだった。




もっと強烈に、共有し、皆で泣き崩れるような感動が出来る。

そんな思いがありながら、その術を知らず、一人にすらうまく伝えられない。




そんなもどかしさがあった。







また、世界は、経済で縛り上げられてもいた。



都市部へ行けば、人々は着飾り、たしかにお金を持っていた。


そして表情はかたく、歩く速度は早い。


いつも頭の中のモーターが高速回転しており、食べの味すら感じてない。


そして、外側から与えられた「こうあるべき姿」というものに向かっていた。

彼らは、いつの間にか本当にやりたいことを忘れていた。

「こうあるべき姿」が外側から与えられたものであることも、忘れていた。

あるべき姿に向かうことが、正しいことであり、そうしない人を蔑むようだった。




街を眺めながら僕は、目の前を通り過ぎる何人もの昔の僕を眺めていた。


彼らは、生きる本当の喜びなど知る由もない。


彼らは、完全にコントロールされていた。


彼らにとってコントロールされることは、初めは苦痛だった。


でも、コントロールされ続けた。


嫌がる心を滅しながら、コントロールされ続けた。


次第にコントロール無しでは、生きることが出来なくなっていき、おまけに幼い世代をコントロールする側にまわっていた。


それは、以前の僕の姿であり、救い出すべき存在たちだった。





これ程まで多くの人たちが、無感動に生きている事実。





六十数カ国を旅した後だろうか。

世界は、隅々まで、経済の支配が入り込んでいるように僕には映った。




この支配構造を打破しなければ、人と真につながり、感動の爆発を起こすことは難しい。



僕は、本を書きながら旅していた。



心の深い部分を突き刺すような、生を感じるような、そんな本が書きたかった。


「でも、まだ足りない。」
旅を続けながら、そんな想いをぶら下げていた。



多くの国々を体験し、多くの民族、文化に出逢い、心から感動し、涙した。

でも、何かがまだ足りなかった。



つかみ取れていない、何かを感じていた。

僕が感じ取れていない以上、表現などもっての外だった。




南米ペルーには、「アヤ・ワスカ」という儀式がある。

アヤとは、魂を意味し、ワスカとは、繋ぐという意味らしい。



魂と繋がる。



そんな儀式だと言う。


聞くところによると、
「リアリティを持って、前世を再体験した。」
「死んだ遺族に会い、実際に会話をした。」
「生命の膨大な記憶を実体験した。」
「実際に猫や犬、虫やヘビになり、彼らの視点や感覚を体験した。」
「人知を超えた神のような存在や、まばゆいばかりの光と実際に出逢った。」
など、眉唾とも言える体験談は枚挙に遑がない。



そして、旅する中で体験を終えてきた人たちにも何人もお逢いしていた。



アヤ・ワスカとは、ある植物の根っこを煎じたお茶を飲み干す。

その作用と空間に存在する精霊たち、そしてシャーマンと呼ばれる人間が、人をそのような体験の出来る空間へと導いてゆく。


ペルーでは、万能の薬となる儀式だとされている。


ガンを始めあらゆる病氣、精神疾患を治すとされる。


しかし、お茶の成分にDMT(ジメチルトリプタミン)と呼ばれる物質が含まれているらしい。
天然由来の成分ではあるが、これはアメリカ政府が違法だと定めているものの一つだ。


アメリカからの指摘に、ペルー政府はアヤ・ワスカの儀式を国宝と定めることで守っている。


ペルーでは、2000年以上前から続いてきた儀式なのだ。




アメリカを取るか、はたまたペルーか。

そんな2極論ではなく、僕はそこに真実があることを感じていた。



時々儀式で死者も出ることが知られていたが、迷いの余地など一切なかった。

アマゾン流域の足を伸ばし、民族の暮らす村を訪問した。


つづく。
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分量の関係上、続きは次回に持ち越させていただきます。


最後までお読みいただけたこと、ありがとうございます。

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