いろいろなyogaがある中で、僕のyogaとは。
みなさま、こんにちは。
TAMAKARA YOGA〜魂と体をつなぐyoga〜を開いています、瞑想・yoga講師の山崎大です。
yogaのクラスを行っておりますが、yogaに対する、わたし自身の捉え方をこの場をお借りし、お伝えさせていただこうと思います。
まずyogaとは、インドの古い言葉「サンスクリット語」で、「つなぐ」という意味を持つ言葉です。
yogaと聞くと、現代では、体をねじるポーズなどをイメージされることもあるかと思いますが、yogaが始まってから現代に至るまでの長い歳月が、本来の形を忘れさせ、見て誰にでも分かるポージングに変わっていってしまったと、わたしは捉えています。
ですので、ここからは、yogaとはポージングのことだけではないことを基本に、話を展開させていただきます。
やや長くなります。
お時間のあるときに、お読みいただけたら幸いです。
yogaとはつなぐという意味の言葉。
では、yogaで何と何をつなぐのでしょうか?
始めに申し上げると、意識と肉体をつなぎます。
記憶をたどり、遠い昔。わたしたちは、地球という惑星に生まれてきました。
惑星には、水があり、空氣があり、緑の植物がいて、動物が暮らしています。
そこに、意識として生まれ出るには、肉体という宇宙服が必要でした。
そう。肉体とは、この地球という星を、旅するための宇宙服なのです。
宇宙服は、高性能です。
自動メンテナンス機能が搭載され、ケガも自動的に治します。
生存本能も搭載されており、自動的に死を回避し、肉体を危険から守ります。
成長→老化機能も搭載されており、幼少期や活動期、老年期と、地球をドラマチックに旅することも可能です。
そんなすばらしい、最高品質の高級宇宙服が、一人ひとり完全オリジナルに創られて、わたしたちは自分が好きな服を選んで、地球にやって来たのでした。
ですが、ここからが問題。
生まれた瞬間に、全部記憶を忘れてきたのです。
意識は、年を重ねながら、成長を続ける肉体を動かせるようになるまでとても苦労しました。
なにせ、肉体は勝手に眠くなってしまうし、お腹もすいてしまうし、人の嫌な所をすぐに発見してしまうし、無理矢理いうことを聞かせようとすると、病氣になり寝込んでしまうのです。
そして、望みもしないのに自動的に老いてゆきます。
全て忘れてしまった、意識はとても悲しく困ります。
悲しみから開放されるには、肉体は宇宙服で、私ではないことを思い出す必要があります。
わたしとは、魂であり意識です。
意識には、顕在意識を無意識があり、魂とは崇高な無意識のことを呼びます。
ここでは、わたし自身も理会し切っていない部分がありますので、魂の話は割愛します。
私という意識は、宇宙服に乗り込み、地球を体験しにきたのでした。
これが、誰にもに共通する、この世界に出てきた目的です。
お腹がすくのは、自動メンテナンス機能が搭載されているから。
人の欠点をすぐに見つけてしまうのは、生存本能(危険回避機能)が搭載されているから。
老いてゆくのは、ドラマチック体験機能が搭載されているから。
成長せず、老いもしなかったら、どんなに味わいに欠ける旅となるでしょう。老いるって、すてきですね♡
でも、そういった肉体という宇宙服に搭載された機能をぜんぶ忘れてしまった私達は、その都度肉体の反応に引っ張られて苦しむのです。
お腹がすいて食べたいという思いが、自分そのものだと思ってしまい、宇宙服から来ている信号だということを忘れてしまうのです。
まずは、肉体とは地球を旅する宇宙服であること、わたしとは意識であり、肉体ではないこと。
このことを、はっきりさせておく必要があります。
では、どのようにして、わたしである意識と宇宙服をつないでゆくのでしょう?
そこには、息を使います。
息とは自分の下に心と書きます。
自分の下に心を据えて、心をコントロールしてゆく。
息という文字には、そういった意味合いが本来込められていると感じています。
また、息とは、いきであり、この世界が波動から成り立っていることを考慮すると、音は振動(波動)であり、同じ音を持つものには、同じ波動が宿ることから、言霊や音霊といい、いきは「行来」と捉えることができます。
私は、自称「だじゃれ言霊研究家」でもありますので、ピンと来た方は随時お問い合わせください。
冗談はさておいて、息はいきであり、「行来」です。
行って来る。
内と外を行っては、来る。
空氣というエネルギーを内と外で循環させています。
内と外を息で行き来し、つないでいる。
これがまず、普段行っている、息のつなぐ役割です。
長くなってきていますが、大丈夫でしょうか?
まだまだ、いきますね。
この場合のいきは、行きです。
あれ、余計わからなくなる?
息は、通常肉体が自動的に行っています。
息に関わらず、心臓の鼓動も、消化活動も、細胞分裂も、肉体の内側の動きは全て肉体が自動的に行っています。
その中で、唯一意識してアクセスできるのが、息となります。
肉体は、常に息をしています。
氣づかずとも、いつも息をして生きています。
その息に、意識でアクセスしていきます。
おおきくすーってー、おおきくはいーてー。
このように、意識で息を長くしたり短くしたりできます。
つまりわたし(意識)は肉体(宇宙服)と息を通して、つながることができるのです。
蛇足となりますが、意識は【いしき】で、肉体はこの世界の生き物【いきもの】です。
【いしき】にも【いきもの】にも【いき】という音魂が入っています。
【いしき】は左右に【いき】があり、息で【し】つまり【死】を繋いでいます。
【いしき】は生の世界にも死の世界にも存在するといわれる所以はここにあると感じます。
なので他界することを【いきをひきとった】というのだと思います。
いきを引き取ると、【いしき】は【死】となり死の世界へ。
【いきもの】は【物】になり、物質世界に戻っていきます。
言葉は、とても良く出来ており、不思議です。
更に更に、
生き物は、英語でアニマル。
語源は、ラテン語まで遡り、ラテン語でアニマとは、【息】という意味のようです。
息する者。
それが、生き物なのですね。
生き物は、息者。
息者にとって、息を意識すること、息を鍛えるということは、とてもとても大切なことのように思われます。
蛇足が長くなりましたが、肉体と意識は息を通して繋げられるというお話でした。
事実、呼吸をゆったり、おおきく深めてゆくと、心拍数や血圧は下がり、脳波は活動的な脳波からゆるやかなリラックス脳波へと、変化してゆきます。
呼吸を深くし、肉体へアクセスしてゆくと、緊張は取れ、安心し、生存本能機能(危険回避機能)がゆるやかにストップし、自動メンテナンス機能がオンになってゆきます。
ここからが、瞑想の旅の始まりとなります。
yogaとは、息を使い肉体と意識をつないでゆき、瞑想へと入ってゆくそんな架け橋の役割があるのだとわたしは捉えています。
もちろん、yogaは肉体(宇宙服)をメンテナンスし、意識とつなぎやすくしてゆく行為も含まれますので、ポーズをとったり、食事を氣にしてみたり、太陽の光を浴びたり、泳いだり、ぐっすりと眠ったり・・それらもyogaに含まれるとわたしは捉えています。
ですので、ポージングだけがyogaではないのですね。
今回は長くなるので割愛しますが、いくらストレッチをしてもポーズを取っても、実は肉体の中に堅い部分が残ります。
そういった内の堅い部分を溶かし去り、さらに肉体と意識をつないてゆく。
そこで登場するのが、瞑想です。
瞑想が内側のしこりを溶かします。
この先を体験されたい方は、クラスでお待ちしております。
ぜひ、遊びにいらしてくださいね。
長々と語らせていただきましたが、あくまでも持論であり、ヒマラヤに籠ったり、儀式に参加したり、世界を旅する中で、体験をひも解きつつ見えてきたものを言葉にしたものです。
ですので間違っても鵜呑みにせず、また完全に疑いもせず、ご自身の体験と照らし合わせて、参考にしていただけたらと思っています。
お読みいただけたこと、感謝致します。
ありがとうございました。
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