なぜ、瞑想・ヨガなのか?
帰国してから、瞑想・ヨガのクラスを開いている。
なぜ、旅を続けてきた僕が、今になり瞑想やヨガを広めようとしているのか。
一言で言えば、瞑想とヨガによって救われたからだ。
旅の中で、先住民族と出逢うことが大いにあった。
彼らの儀式に参加したこともある。
呼び名や形式は違っても、それは決まって祈りやダンス、そして瞑想であった。
大陸は違えど、瞑想が太古から世界中で儀式としてとりおこなわれていることがとても興味深く、瞑想こそ人間の本質に繋がる術なのではないかと、旅をしながら瞑想にとても興味をもつようになった。
ある日の瞑想中のこと。
耳を澄ませ、呼吸を深めてゆくと、意識は徐々に広がっていった。
ハートの奥の方が開いて、しまい込まれていたままの感情がゆっくりと顔を覗かせてくる。
目の前に突如として、かつて別れた妻の顔が色彩を帯びて現れた。
大嫌いだった。
ぶつかり合い、喧嘩し、傷つけ合って別れた。
どれだけ苦労したと思っているのだ。言いたいことは、山ほどあった。
思い出す度に、嫌な氣持ちになった。
思い出される妻の顔は、いつも不機嫌だった。
だから、思い出さないようにしてきた。
いつの間にか、思い出すことは無くなっていた。
突如として目の前に現れた妻は、僕が大好きだった笑顔をしていた。
ハートが奥から熱くなった。
本当は、大好きだったのだ。
同時に、妻の感情がハートにはっきりと流れ込んできた。
本当に辛かったこと、一生懸命だったこと、僕を愛そうと努力していたこと、最後まで悩んでいたこと。
その総てが、ダイレクトにはっきりと流れ込み、氣がつけば「許してください。ごめんなさい。」と大粒の涙を流しながら嗚咽している僕がいた。
僕がまいた種が芽を出し、自らで刈り取らねばならなかったのだと、それを体験したのだと思い知った。
そしてまた、妻と別れることを学びとして体験したかったのだということ。
妻の魂がその役を引き受けてくれた縁深い魂であったこと。
今回の人生で互いを上昇させるがために、痛みを買って出た氣高い魂であったことが、次々と雪崩のように流れ込み、胸をはち切れんばかりに満たしていった。
次の日、氣持ちも体も今まで体験したことがない程、晴れやかな僕がいた。
胸郭が大きく広がっており、呼吸も深くできるようになっていた。
猫背も改善されていた。
かつての痛みの体験が、胸を締め付け、呼吸を浅くし、猫背にまでさせていたのだと直観した。
この体験を皮切りに、旅をしながら瞑想を追究していくこととなる。
後に同様の体験を繰り返しながら、体は増々真っ直ぐになり、ストレッチなどの柔軟体操抜きにして大いに緩み、柔らかくなった。
この体験から、ヨガとは瞑想と同義であると感じるようになり、ヨガにも追及の手を伸ばしてゆく。
僕は、元々ヨガがしたかったわけではない。瞑想がしたかったわけでもない。講師として皆に何かを教えたかったわけでもない。
ただ、自らをひも解きたかった。
だからただ、ひたすら追究した。
結果的に自らが行っていたものがヨガであり、瞑想であり、最高の薬であった。
その時その時に、師と呼べる人が現れた。
教えを頂き実践すると、その都度次の扉が開かれていった。
もうこれで、ひとまず追究はいいだろう。
そんな扉を開けた。
そして日本に帰った。
帰国後クラスを開催したものの、人は集らなかった。
自らを救った薬としての体験をお分けしたい。
そんな思いだけが宙に浮いていた時期。
やはりまだ、修行不足か。
そんな想いに連れられて、再び日本を離れた。
すぐに思い知った。
もう十分であったこと。
もはや旅も修行も挑戦ではなくなっていた。
そこは、安住の地に変わっていた。
今の僕にとっての挑戦は、この体験を少しずつでもお分けしてゆくこと。
そしてそれが、一つの使命であることも直観している。
すべて、体験から導き出された方法を使う。
先も見えず、ただ自らをひも解く追究を続ける流れの中で、氣がつけば手元に手法がそろったささやかな確信がある。
もちろんこれからより良く変化してゆくものではある。
この手法は、一撃必殺の刀ではない。
氷の塊にしたたるぬるま湯のように、一滴一滴がゆるめ、溶かしてゆく。
そんな方法と感じている。
これから地元安曇野を中心に、定期的にクラスを開いていく。
ご興味のある方々が、氷の塊を溶かすが如く、氣長くご参加いただき、薬としての効果を体験していただけたら、それは僕にとって最高の喜び。
今後、随時開催していきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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