〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

《自分を傷つける人は、人を傷つける。わたしを愛する道》

こんにちは。

 

~わたしに還るyoga~のクラスを開いています、山崎大です。

 

 

安曇野は、朝から雪が積もりました。

 

急に降った雪が、あれまあ、こんなにも積もっています。

 

氣の良い友人からスタッドレスタイヤを頂いたのですが、よくよくみるとどう見積もっても雪道を滑らずに走ることができない代物でした。

 

 

どこかで購入するのがよさそうです。

 

 

もし、どなたかスタッドレスタイヤをコレクションしていて整理したがっていたり、

なぜか2セット購入してしまったり、

ひょんなことで余っているタイヤをお持ちの方居ましたら、ご連絡ください。

よろこんで、引き取りに伺います。

ちなみに175/65/R14です。

 

 

 

一面に真っ白な雪景色を見て、どこか遠い記憶が当時の匂いを引き連れ、脳裏でむくりと起き上がったのを感じました。

 

僕は冬の長野県の生まれで、雪景色の記憶はどれも幼い日のものでした。

 

30歳を過ぎ、大人と呼ばれる歳となりましたが、この雪景色も30回程しか見たことがないわけで、今年はじめて広がった雪景色は、今回も心をいつかの雪景色の日まで連れて行こうとしていました。

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いつの日かの雪景色。

 

 

 

日々は過ぎ去り、季節をくぐり、歳を重ね、今に至ります。

 

 

 

時は流れ、誰もが変わってゆきます。

 

 

 

僕も、変わってきました。

 

 

 

いろいろな喜びを、感動を、痛みを、悲しみを記憶と伴に引き連れながら、今ここに居ます。

 

 

 

氣がつけば、すてきな人たち、やさしい人たち、氣の良い人たちが周りに多く居ます。

 

 

なんてありがたいことだろう。

 

そう思います。

 

 

世界中を旅し、インドに長く籠っていた経験から、ヨガと瞑想のクラスを開くようになって、関わる人もまた増え、すてきな人たちが逢いに来てくれます。

 

 

周りの方々との関わりを楽しむと同時に、

「ヨガの先生として何か伝えなければ」

「ヨガの先生なんだからしっかりとしていないと」

そんな固定概念が流れて来ては、本来の心地よい僕を連れ去っていこうとかすめてきます。

 

 

 

人は響き合いの元で、影響し合いながら成長してゆくもの。

 

 

 

そう感じていながら、人に何かを教え諭そうとする僕が、僕の前に立ちはだかってしまうときがあります。

 

 

人に対し、「こうなって欲しい。」「こう変わって欲しい。」

 

 

 

そんな思いを抱いてしまう方は、僕以外にもいるのではと感じています。

 

 

 

特に、近しい関係になるほど、その要求は強くなってしまい、互いにとって居心地の良い関係ではなくなってしまう。

そうなることを避けるが故に、人と近い関係を避ける方も居るようにも感じています。

 

 

 

 

僕にとってある出来ごとが、人間関係をより心地よいものにする糸口を教えてくれたように思いますので、こちらにシェアいたします。

 

 

 

 

先日、仲良しの方が、大きなため息をつき、ネガティブに陥って居ました。

 

どうして良いのか分からない。
とその方は未来を暗く考えているように見えました。

 

 

 

「大丈夫だよ。それは、あなたが習慣にしていた思考のパターン、すこし俯瞰して自分をみてみて。しばらくしたら思考は流れて、また元氣になるからさ」

そんな言葉を使おうとする思考が、僕の主導権を握ろうと寄り添ってきます。

 

 

 

「いつまで同じパターンで落ち込んでいるの?暗い考えにハマっている自分に氣がついて。」

そんな言葉を使おうとする思考も、僕を捉えようと流れてきます。

 

 

 

僕は、ただ、黙っていることを選びました。

 

 

 

 

同時に氣がついていました。

 

 

 

 

イライラが僕の胸の辺りに侵入していることに。

 

 

 

 

僕は苛立っていました。

 

 

 

 

笑顔がすてきで、弾けるような明るさがその人の魅力であることを知っていました。

 

 

 

 

ネガティブに陥っている姿は、似合わないと感じていたのです。

 

 

 

 

「明るい元のあなたに戻って。」

そう求めてる僕が、僕を突き動かしています。

 

 

 

 

同時に、ネガティブに陥っている目の前のその人を否定していました。

 

 

 

「ネガティブじゃ、だめなんだよ。」

 

 

そんな声が脳裏をかすめます。

 

 

 

その言葉が、内側から僕の口をこじ開け、外に向かって出て行こうとした瞬間、

 

 

はっとしました。

 

 

 

 

僕は、ネガティブであることを否定している・・

 

 

 

 

ネガティブも、ポジティブも、どちらもあっていいのに・・

 

 

 

 

熱い日もあれば、寒い日もあることと変わらないことなのに・・

 

 

 

 

 

僕は、ネガティブであるということを、僕が否定していることに氣がついたのでした。

 

 

 

 

 

僕は、ネガティブに陥っていることは、だめなことだと、決めていたのか・・

 

 

 

 

かつての記憶の僕が、僕に近づいてきます。

 

 

 

 

ため息をつき、背を丸め、ネガティブを引き連れている僕。

  

世界へ旅立つときも、抵抗していたネガティブな僕。

 

新しいことを起こす時、きまって抵抗して来たネガティブな僕。

 

 

 

 

ああ、僕は、ネガティブな僕の話も聞かず、

ただただ否定し、無理矢理言うことを聞かせてここまで来ていたんだ。

 

 

 

僕の中に、僕に否定され拒絶され、

居場所を失い苦しみながらもがいているネガティブな僕が居ました。

 

 

 

 

同時に知りました。

 

 

 

 

目の前の、ネガティブに陥っているその人は、僕であること。

 

 

 

 

うなだれ、ネガティブに落ちている方を見つめながら、

僕は、僕を見ていることに氣がつきました。

 

 

 

君はただ、こわかった。

 

身を守りたかった。

 

少し臆病で、慎重で、傷つきたくなかっただけなんだね。

 

 

そんな思いが僕に流れ込み、僕の胸を満たしていきます。

 

 

僕よ、ネガティブな僕よ、

 

ずっと、氣がつがずに居て、ごめん。

 

どうか、許して。

 

あなたを、愛している。

 

教えてくれて、ありがとう。

 

 

そんな言葉が口から漏れていました。

 

 

 

深いため息をつきながらうなだれ、ネガティブに落ちているその方は、その存在を使って、僕の内側を見せていました。

 

 

ああ、あなたが、存在を通し、僕を見せてくれていたのか・・

 

 

 

 

左目からぽろぽろと泪が溢れ、僕の服を濡らしていました。

 

 

左半身は、体において内的な性質を表していると言われます。

 

僕の内に居る押さえ込んでいた僕が、流した泪であることを感じていました。

 

 

 

同時にあることが起こっていました。

 

苛立が、消えていました。

 

 

否定されていたネガティブな僕を見つけた瞬間から、胸が軽くなっていくのが分かっていました。

 

 

僕が否定していた、ネガティブな僕。

 

 

 

僕自身が、ネガティブな僕を否定していたから、

目の前のその人のネガティブを否定していたのか・・

 

 

 

 

ネガティブもポジティブも、どちらでもいい。

 

 

 

 

そこに、善い、悪いと色を塗るのは、わたしたちの勝手な振る舞い。

 

 

 

 

嫌いな人がいて、その人を直したいと思っているのだとしたら、

その嫌いな性質は、自身の中に見えないように隠れている。

 

 

 

それがきっと、どこまでも事実なのでしょう。

 

 

 

相手は、鏡。

 

 

良く聞く言葉かも知れません。

 

 

 

 

嫌いだ!

 

イライラする!

 

変わって欲しい!

 

 

 

感情が波立った時、チャンスなのかもしれません。

 

自身の中に、同じ性質が見えないように隠れている。

その性質を見つけ出す、チャンス。

 

 

 

 

人間関係は、どこまでも学びとして僕の前にやって来ます。

 

 

以前に比べ、多くの人を受け入れられる自分を感じています。

 

 

それは、以前より、僕が僕を受け入れたからであることも感じます。

 

 

 

それでもまだまだ人に対して、

嫌だと思う性質、変わって欲しいと思うこと、色々あります。

 

 

ひとつひとつを見つめながら、自分の中に隠れている同じ性質を受け入れ、許し、愛してゆくこと。

 

 

 

自分を、愛するということ。

 

 

 

 

これが、人間関係を改善してゆく、地道で確かな道であるのでしょう。

 

 

そして、耳タコの方もいらっしゃることを承知の上で言わせていただくと、その道とは瞑想であると確信します。

 

最後は決まってわたしの瞑想CDの宣伝となります。

 

愛嬌としてお許しください。

 


 

今回も、最後までお読みいただき、感謝します。

 

ありがとうございます。