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〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

苦しみを、超えて。

こんにちは。

 

~わたしに還るyoga~のクラスを開いています、山崎大です。

 

 

 

わたしは日々、ヨガと瞑想のクラスを開いていますが、続けてくださっている方々の変化を感じることが最近増え出し、それが喜びとなっています。

 

自分の中心が見つかった方。

 

落ち込んでも、すぐに立ち直れるようになった方。

 

自分を見つめ、ひも解く作業が楽しくなって来た方。

 

笑顔が以前よりすてきになった方。

 

 

それぞれ、瞑想やヨガを続けていくと手に入れることのできる恩恵だと感じますが、実際にそのような方が身近に増えてくることは、とてもうれしいです。

 

 

けれど、逆に

 

 

1、今までの自分と、これから向かう方向のギャップに戸惑う方。

 

2、今まで付き合って来た友だちと距離を感じ、それに戸惑う方。

 

3、自分というものが見失われてしまったように感じる方。

 

4、何が正しいのか、わからなく感じられ、戸惑う方。

 

 

そういった方も、いらっしゃるように感じています。

 

今回は、「1、今までの自分と、これから向かう方向のギャップに戸惑う」ことににいて綴ってみます。

 

 

ヨガも瞑想も、より楽しく笑顔の自分で生活できる道であります。

 

 

その道は決して修行的なものではなく、楽しみや心地よさ、リラックスというものと伴にある道です。

 

けれど、その道は、今までの自分から新しい自分へと変化する必要に少なからず迫られます。

 

その変化が、ギャップとして、時には苦しみや痛みとして感じられることが多々あると感じます。

 

 

 

大きな変化。

 

それは、文字通り「大変」

 

 

良い変化も、悪い変化も、変化というものは、どのみち大変であり苦しみを感じるものだと感じます。

 

 

なぜ変化というものが人にとって大変なものなのでしょうか?

 

 

ひも解いてゆくと、その起原は、生命の根源まで遡ってゆきます。

 

 

 

 

「ええっ!!何だって!?」

 

 

さらりと言いましたが、そんな声が聞こえて来てもおかしくはありません。

 

ですが、人間が一つの生命である以上、その性質は生命の根源まで通じています。

 

 

 

 

 

この世界に存在する生き物。

 

死を望む生物は、何一ついません。

 

 

 

「生きている以上、生き続けたい。」

 

 

 

 

これが、どの生命にもインプットされている生命の願いです。

 

 

大腸菌から人間まで、何としてでも生き延びようとする本能を持っています。

 

 

どの生命にもインプットされているこの本能が、変化を嫌うのです。

 

 

 

変化は、良い悪いに関わらず、変化です。

 

 

 

今の現状は、良い悪いに関わらず、生存可能です。

 

 

生存ができているというこの現状から抜け出すことは、生命体にとって苦痛を伴います。

 

 

生命体としては、生存ができているということが保証されることが何より一番な訳です。

 

 

過去から継続しているスタイルや習慣は、そのスタイルであれば生存が保証されて来たわけです。

 

 

新しい行動をしようと感じても、いざとなるとやめてしまう奥には、変化を嫌う生命体の隠れた本能が働いています。

 

 

長く続けて来たもの程、例えいけないと分かっていてもやめづらい理由はここにあると感じます。

 

また逆に、良いとは分かっていても過去の習慣に引きずられ、続けづらいことの原因も、ここにあると感じます。

 

 

「生きていたい」

 

という生命からの願い。

 

生存本能とも言うべき、奥からの声。

 

 

この声を聞きながらも、自分らしく夢や願いを実現してゆく。

 

そのために、人が古来より続けて来た方法が、瞑想(マインドフルネス)であると言えます。

 

 

 

 

瞑想は、座った状態を保ちます。

 

生存本能は、そんないつもと違う状態を「変化」と捉え嫌がります

 

「ああ、足がかゆいなあ」

 

「お腹がすいたよ」

 

「このあと何を食べようかなあ・・」

 

「あ、メールのチェックしなきゃ」

 

 

これらは、瞑想(マインドフルネス)では、雑念と呼ばれるものです。

 

 

雑念を流れる川に浮かぶ木の葉のように、ただただ、観察してゆくのが瞑想の基本です。

 

 

そして、この雑念。

 

発生源の殆どは、生存本能です。

 

 

特に、瞑想を始めた初期の段階が一番雑念が多く、辛い時期です。

 

じっと座る。

 

という変化。

 

なんとしてでもいつもの安心な状態に戻ろうと、生存本能はいろいろな訴えをしてきます。

 

それらの訴えを聞きながら、ただただ見守ってゆく。

 

数週間も続けてゆくうちに、生存本能は「じっと座った状態」に慣れてゆきます。

 

雑念も次第に減り、更に深い瞑想へと入ってゆくことができるようになります。

 

 

何事もそうですが、慣れるまでが一番大変です。

 

スキーやスノーボード

 

または水泳。

 

そういったものと瞑想は良く似ていると言われます。

 

滑り方、泳ぎ方が慣れて来たら、あとはすいすい楽しめるのです。

 

はじめが一番、大変。

 

大きな変化です。

 

 

水泳も、スキーも、インストラクターと伴に行うと上達が早いです。

 

瞑想にも、是非インストラクターを雇ってください。

 

CDとして出張いたしております。

 

しばらく続けていただけたら、その成果を感じていただけるはずです。

 

 

 

瞑想と出逢う前のわたし。

 

この世界の遊び、できるだけやってみました。

 

この世界の行ける場所、できるだけ行ってみました。

 

付き合う人も、絞ることなく、多くの人と付き合ってみました。

 

 

多くの経験をして来た自負は少なからずあります。 

そんな中で、こころから多くの方に体験していただきたいものが瞑想です。

 

馴染みにくいかもしれません。

 

すぐに嫌になってしまうかもしれません。

 

続けづらいかもしれません。

 

 

それらが変化を嫌う生存本能の声であると、感じていただけた方、どうかご体験してみてください。

 

 

ヒマラヤで生まれたとされる瞑想。

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今に至るまで、途絶えず引き継がれて来たからには、訳があります。

奥に、宝があるのです。

 

一緒にその宝箱を開けてみたい。

 

そんな思いです。

 

ご興味のおありの方、ぜひ一緒に瞑想(マインドフルネス)しましょう☆

 

docs.google.com

今回も、材後までお読みいただき、ありがとうございます。