〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

これからの時代に、必要になるもの。

こんにちは。

 

~わたしに還るyoga~のクラスを開いています、山崎大です。

 

近頃になり、にわかに瞑想ブームが訪れているように感じるのは、わたしだけでしょうか?

 

 

瞑想は、もともとはヒマラヤに住み暮らす修行者が少なくとも5000年前から行っていたということが分かっているようです。

 

仏教の創始者であるお釈迦さまが、それを体系化したのが2500年前。

 

そして、ここ数年、瞑想から宗教性を排除し、科学的に効果があるエッセンスだけを抜き出した「マインドフルネス」として今、瞑想がにわかにブームです。

 

特に欧米を始めとした、GoogleFacebook、ヤフーといった企業が取り入れ、業績が上がっていると言うことが、ブームの裏付けになっているようです。

 

 

「わたしに還るyoga」のクラスは、

ムービングメディテーション(動的瞑想)を軸にしていますので、

マインドフルネス(瞑想)が多くの方々に受け入れられ始めている近頃の動きを、わたしはとても嬉しい氣持ちで見ています。

 

 

マインドフルネス(瞑想)が日常に溶け込み、

日々のジョギングを楽しむかのように、

または、

読書や音楽を楽しむかのように、

日常の隙間に入り込んで行ったらすてきだなあと思うのです。

 

 

 

現代人はどうしても忙しく、時間に追われている方が多いと感じます。

 

 

 

古代の人々は、昇る朝日を拝み、風に、炎に、水に、大地に祈り、それらを大切にしてきました。

 

 

 

現代の文化生活で、朝日を拝み、風に祈りましょう。

と言ってみたところで、

「あら、まあ。この人は・・」

となってしまうことでしょう。

 

 

現代人が、人間の持つ本来の力を保ちながらも、

文化生活をスマートに営んでゆくそのために、

マインドフルネス(瞑想)という新しい切り口が必要なのだと感じています。

 

 

マインドフルネス(瞑想)は、脳が変化することが分かっています。

 

 

では、どのように変化するの?というと、

より調和するように、

より広い視点でものごとをみることができるように変化すると感じています。

 

 

 

インドで瞑想をしていた当時、面白いと感じた出来ごとがありました。

 

 

 

当時、あらゆる瞑想に手を出していたわたしですが、

ある瞑想センターで10日間の瞑想合宿に参加していたことがありました。

 

 

インドの合宿所は、清潔でこそあるものの、日本のように設備は整っていません。

当時は12月、インドも寒い時期でした。

 

 

合宿所にお風呂やシャワーはなく、体はバケツ一杯のお湯で洗うことになっていました。

 

電氣で湧かす最新のシステム?は導入されていましたが、水がお湯になるのに30分程かかるのです。

そして1度にできるお湯の量は、15リットルほどでした。

 

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インド最新の湯沸かしシステム。

 

 

一人につき、5リットルは使うので、3人も使えばすぐにタンクは空となり、また30分待たねばお湯は手に入りません。

 

しかも、お湯を浴びることのできる時間は、わずかでした。(一日のうちの殆どは瞑想に当てられていたためです。)

 

合宿がはじまって、最初の数日、お湯浴びができる休み時間になると、お湯タンクの前には長蛇の列ができていました。

わたしもタイミングを見計らって並んでは、じれったい思いをしていました。

 

 

さらに、お湯浴びをする場所は、土足禁止なのですが、インド人は平気で土足でした。

こぼれたお湯に土足からの土が混じり、お湯浴びをする部屋は初日でいきなり汚くなっていました。

 

 

瞑想合宿がはじまって、4日目あたりでしょうか。

 

お湯汲みに並ぶ人がいなくなりました。

 

そして、だれも土足でお湯汲みの部屋に立ち入らなくなっていることに加え、使ったあとに掃除をしているようです。

お湯汲みの部屋は、とても清潔になっていました。

 

瞑想合宿中、そのような注意や指示は一切ありません。

 

ただただ、瞑想をするだけなのです。

 

 

インド人が、日に日にあからさまに変化してゆく様子は、驚きでした。

 

当時、インドに一年以上滞在していましたから、インド人の節操の悪さはご愛嬌で、愛すべき特徴だと受け入れていたわたしは、膝から崩れ落ちそうになる自分をなんとか支えていたように思います。

 

インド人には、瞑想が足りないのだ。

 

インドは、瞑想をしたらもっと良い国になる。

 

そんなことを瞑想の発祥の地で思ったことを記憶しています。

 

 

瞑想合宿中、わたし自身も多くの氣付きを得ていました。

 

何を隠そう、わたし自身も自然と部屋の掃除をするようになり、トイレでは便器からはみ出てしまった自身の片割れを丁寧に拭き取るようになっていました。

 

 

道徳とは、外側から教えてもらうとこではない。

まして、矯正されることでは決してない。

すでに、わたしたちは道徳を内側に秘めている存在だったのだ。

 

瞑想で内側を知ったとき、行動は自然と道徳的に変化しているのでした。

 

瞑想は、美しいものはすべて内にはじめから持っていることを伝えてくれるのでした。

 

 

 

よく、感謝しましょう。

とか、

人に優しくしましょう。

と聞くことがあります。

 

わたしは、

「ありがたくも思っていないのに、なんだか嫌だなあ・・」

「やさしくしたくないのに、やさしい振りをするなんて嫌だなあ」

と思う一人でした。

 

行動は、内側のこころから生まれてこそ、意味あるものであると言えます。

 

外側を繕ったところで、こころの伴わない行為は、偽物でしょう。

 

 

瞑想を続けていると、感謝の氣持ちが湧き出てくることがあります。

これは、マインドフルネスの研究でも実証されています。

 

 

なぜなのかは、頭で理解することではなく、体験することだと感じています。

 

 

このような体験が、実際に脳を変化させてゆくこと、自然によりやさしく、より感謝できる体質に変化してゆくのだと感じます。

 

 

ものの数日で、インド人を道徳的にさせてしまったマインドフルネス(瞑想)のパワー。

驚きを隠しきれません。

脳が変化することくらいは、わけないことなのでしょう・・

 

 

わたし自身は、イライラすることは減り、落ち込むことも殆ど無くなりました。

イライラさんも、不安感さんも、時々やっては来ますが、すぐに帰って行きます。

とーても、楽に。以前より自由に生きることができるようになっています。

 

この感覚を皆で味わえたらなあ。

 

それが、今の所の願いです。

 

世界を旅し、その旅路は内側の旅、瞑想へと続いていました。

 

根っからの旅人の僕は、まだまだ旅を続けます。

 

世界を旅することも、内側の旅も、どちらも大好きです。

 

でも、どちらを先にお勧めするかと言われたら、今は内側の旅だと応えます。

 

こころが広がると、より感動できるようになります。

目に映る世界が、より鮮やかになります。

 

世界中を旅しながら、どこかの大絶景の中で泣き崩れることがしてみたかった僕。

 

ボリビアのウユニ、ザンビアのビクトリアの滝、トルコのカッパドキア、アメリカのセドナ・・

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今のこころで、また行ってみたい。

もっともっと、強烈に感動できることを知っているから。

 

 

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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。