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〈生き方のstyle〉

生き方は、違っていい。違いこそ、豊かさ。自分に還れば、皆違う。自分を変えようと旅をした。旅は瞑想に導き、僕は僕に還ることにした。

秋、自分を見返す季節。見返る。その行く先は、ミカエル。

こんにちは。

 

「わたしに還るyoga」のクラスを開いています、山崎大です。

 

今回のブログ、すてきなタイトルにも関わらず、こうしてページにアクセスしていただいたこと、大変感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

ここ安曇野は、紅葉がはじまりました。

お空もすっきりと晴れ渡る日が増えてきて、今週末はお出かけ日よりになりそうです。

 

 

昔から、秋の空氣が好きでした。

 

なんでしょう。

 

生命の躍動が一つの区切りを迎え、終わり際に色づき、果実を実らせ、眠りに入る瀬戸際。

吹く風も、どこかさみしさを含みながら、それでいて爽やかで清々しい。

 

風に舞う落ち葉のかさかさと乾いた音。

 

日ごと、夜の訪れが早まり、一年がまた一つ終わりに近づいていることを知らせる季節。

 

 

そんな秋が、昔から好きでした。

 

 

秋になると、昔の出来ごとに想いを馳せたい、そんな氣持ちになります。

 

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幼少の頃、過ごした秋の季節。

 

思春期を通り抜けて行った秋。

 

今、感じている秋。

 

 

季節の連続は、様々な体験と感情を僕の中に残し、そしてまた次へと移り去って行きました。

 

 

秋、一年の中で一番落ち着ける氣がしています。

 

 

躍動が休まり、一息つける。そんな季節。

自らを見つめ、整理し、また次への確かな一歩を造り上げる季節。

 

 

 

 

 

僕には、変な癖がありました。

 

友だちと話している時、すこし大げさに話をしてしまう癖。

 

盛って話をするのです。

 

数字が2倍になることはしばしば。

 

下手をすると10倍になることをあったように思います。

 

 

 

正直ではないし、良いことではないこと、知っていました。

 

 

 

ですが、話をしていると、さっと現れては、盛った話をして、また立ち去ってゆく僕が居ました。

 

 

あ、こいつめ。また出たなー。

そう想った時には、したり顔で立ち去っているのです。

 

 

手強い相手だ。

 

どうにかこらしめてやろう。

 

 

考えることが昔から好きだったと言うか、癖だった僕はいろいろと考えました。

 

どうして、僕には、話を盛ってしまう癖があるのだろう・・?

 

 

思い浮かんだのは、母の存在でした。

母も、話を盛るのが得意でした。

 

 

「お母さんはねえ・・」

と盛った話をする母を思い出して、ああ、僕のこの癖は遺伝だな。

と一応の答えを出していたのでした。

 

 

ですが、遺伝だと答えを出したのはよいものの、癖は治まる姿を見せません。

 

 

相も変わらず、話を盛っていました。

 

 

解決はお蔵入りとなった僕の癖は、見過ごされ、次第に僕の一部となってゆきました。

 

 

その癖が、溶け出す機会が与えられたのは、数年後の瞑想との出逢いでした。

 

 

 

はじめは疑いながらも、そこには何かがあるという確かな感覚を信じて、入って行った瞑想。

ただ目を閉じているだけの、精神鍛錬だと思いながらも続けていた瞑想。

 

続けていても何もないのでは?と不安になりながら探究していました。

 

 

 

ある時、瞑想というものが自分の中で掴めてきた頃。

 

 

流れては消えてゆく、想いの川を眺めている僕が居ました。

 

それは、映画を見ているかのようでした。

 

流れゆく想い、思考、それに伴う感情。

 

それらが、ただただ流れ、少し離れたところからすべてを見つめている。

 

そんな状態になったとき。

 

 

父の記憶が流れてきました。

父は、しかめっ面をしていました。

眉間には縦にしわが入り、僕の話に耳を貸そうとしない父が流れてきました。

 

話をしても、聞き入れてもらえませんでした。

 

いつも、認めてはもらえませんでした。

 

 

 

 

 

「僕を、見て。」

 

 

 

 

当時の僕が、声にならない言葉で訴えていました。

 

 

 

「僕を、認めて。」

 

 

当時の感情が、記憶と伴に流れては、消えてゆきます。

 

 

少し離れたところから、僕の意識は、その総てを見つめて、受け取ってゆきました。

 

 

おなかの奥に、どろどろと生き物のようにうごめく、幼い僕が吐き出し切れていない感情があることに氣がつきました。

 

受け止めながら、すこしずつ溶かされるように、どろどろは薄まってゆくようでした。

 

 

感情は、感じ尽くさない限り、体の中に居続けていることに氣がついた体験でした。

 

 

同時に、

僕を、見て。

僕を、認めて。

 

そう訴える幼い日の僕が、今も体の奥に住んでいて、その彼が、大げさに盛った話をして、注目を引きつけたいのだということ。

 

 

 

すごいね。

 

 

そう言って認めてもらいたかったのだということを知ったのでした。

 

そういえば母は、幼いころ実の母を亡くし、実の父とも離れて暮らさなければならなかったのだと過去に話していたことを思い出しました。

 

話を盛って話をする母の奥に、幼い日、「わたしを、見て。」と僕と同じように訴える幼い少女が見えるようになりました。

 

 

 

何度も何度も、同じ瞑想を繰り返しました。

 

泪が流れることもしばしば、

何十回目かに、訴える幼い僕は大人しくなってゆきました。

 

 

同時におなかの奥が花が咲いたかのように、内側から開き、ゆるみ、内蔵が一呼吸ごと大きく上下するようになりました。

 

この体験が、ナウリ浄化法に密接に結びついています。

 

 ナウリ浄化法。

 

 

話をする中で、今でも幼い日の彼は時々姿を現そうそしてきます。

「盛った話、させてー。」

幼い僕がそういってくるとき、うんうん、と聞いて頭なでなでしてあげることにしています。

時には盛った話も面白いので、場に応じてはしていますが、勝手にしてしまったということは無くなりました。

僕自身が以前より、とても楽に人と関われるようになったと感じています。

 

 

 

自分の中に住んでいるいくつかの存在たち。

 

彼らと出会ってゆく瞑想は、インナーチャイルド瞑想と呼ばれます。

 

 

インナーチャイルド

内に住む子ども。

とくに、表現できなかった幼い日の心。

 

そんなこころを溶かしてゆく瞑想です。

 

意識が十分に静かになった状態を作り出せるようになってから、行うことが適切な瞑想だと感じています。

 

 

まずは、現代の様々なシーンで活用されている、「マインドフルネス瞑想」で、瞑想の基礎を作ったのちに行うことが良いと感じます。

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吉田昌生さんのご著書、「マインドフルネス瞑想入門」

誘導のCDもついており、分かりやすい解説。

とてもお勧めできます。

 

 

インナーチャイルド瞑想の誘導音声です。

わたしのアプローチとは違いますが、どんなものかを体験できると感じます。

 

 

そして最後は、

「はじめての瞑想CD〜medhicine meditation〜」

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¥2,500 

   1 . 準備 基本姿勢       6:56
 2. マインドフルネス瞑想   10:57
 3. 水の瞑想          9:30
 4. いのちとつながる瞑想    8:37
 5. インナーチャイルド瞑想   6:47
 6. こころとつながる瞑想    7:37
 7. 光の呼吸瞑想        8:16
 8. 自由瞑想         12:10
             

 

 どなたでも、聞くだけで基本の瞑想へ入ってゆけるように仕上げてあります。

ご体験いただけたら幸いです。